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【キャラ立ち】←【ご都合】→【ストーリィ】(第3回)

 いつもご覧いただきまして、誠にありがとうございます。中村尚裕です。

 私、先日より以下の【よくあるお悩み】に対して、とあるきっかけから【突破口】ともなり得るポイントの数々を【考察】しております。

 ◇

【よくあるお悩み】
・【登場人物】が【キャラ立ち】すればするほど思い通りに動かせない
 →【ストーリィ】の進行や展開が不自然になって、【ご都合臭】が強くなる
・【ストーリィ】を先へ先へ進めようとすればするほど、【登場人物】の人格に合わない展開になって【ご都合臭】が強くなる
・【登場人物】の人格を奥深くまで表現して【キャラ立ち】させるには、これを描き出す【ドラマ】が薄くなりがち
 →状況、つまりシチュエーションのヴァリエーションが増やせない
・【ストーリィ】に『あっと驚くような展開』が盛り込めず、展開が無難・平坦になりがち(盛り上がらない)

 ◇

 第1回で通説(※1)として、福井晴敏先生が引用した押井守監督のお言葉をご紹介しました。(『テアトル東向島アカデミー賞/福井晴敏先生』集英社・240ページより)

【引用】
 押井守監督曰く、作劇は「ストーリーが進行している間はドラマが止まり、ドラマが進行している間はストーリーが停滞する」もの(※1)
【引用終わり】

 ただし、福井晴敏先生はこうも記しておいでです(※2)。

【引用】
「(著作である『亡国のイージス』は)人物の葛藤(ドラマ)が状況(ストーリー)と有機的に絡み合い、ドラマの進展がストーリーを動かす構造になっている」(※2)
【引用終わり】

 私の意見としては。
「“【ドラマ】・パート”と“【ストーリィ】・パート”、および“戦闘パート”は、(技巧を要するものの)同時進行させることが可能」(※3)

 その根拠として考えているイメージは、以下の通り(※4)。
 【物語】上の事態は複数の【登場人物】達によって、複数の場所で、【多重並列】の【潮流】として進行します。それが合流し、相互作用し、その結果を持ってまた分岐し、そうやって【ストーリィ】は進行していくわけです(※4)。

 【物語】は、『複数の【潮流】が【多重並列】に同時進行しているもの』を、『【演出意図】を込めて一本に編集したもの』――そういう捉え方ですね。

 こういった考え方を元に、第2回では、【ご都合】、【キャラ立ち】、【ストーリィ】、各【要素】の間に横たわる『相性の悪さ』とでも申すべきものに考えを至らせました。【登場人物】は『(自分事なので)思い通りに事態が推移すること』を望み、一方で【観客】や【作者】は【ストーリィ】に『(他人事なので)あっと驚く(【観客】としての自分自身や大半の【登場人物】達には想像もつかない)展開で【想定外の困難】が克服されていくこと』を望む、というものですね。

 第3回の今回は、これらの【事実】から【考察】を発展させて参ります。よろしくお付き合いのほどを。

 ◇

 こうして見比べてみると顕著ですが、【ストーリィ】(状況)と【登場人物】の間には、巨大な葛藤が常に存在するのです――『ダイナミックな状況展開を望むか、望まざるか』、という。

 この葛藤をいかに乗り越えて【ストーリィ】(状況)と【登場人物】の両方を尊重するか――というのは【作者】の巨大な【命題】ですが、ここで両立を尊重して工夫すべきところなのを疎かにして、強引に一方を押し通そうとすると、どうなるでしょうか。そこには破綻が存在するわけで、その破綻は【嘘臭さ】として【観客】に届き、それが『【作者】の【都合】』に起因するわけですから、こう判断されるわけです――【ご都合臭】が漂う、と。

 となれば、『【登場人物】の人格を尊重して描く【ドラマ】の部分では、【ストーリィ】(状況)は停滞する』というのは説得力を感じる説ということになります。逆に『【ストーリィ】(状況)が進行・展開する部分では、【登場人物】は思い通りに動けないので【ドラマ】が止まる』というのもまた然り。
 このような背景があるので、一般的に通説(※1)は成立することになります。
 ただしここで強調しますが、私の考えるところ、この通説(※1)は動かせないわけではありません――もちろん工夫が必要ではありますが。

 ではその工夫は――というところに、興味が赴くものと拝察します。

 まずは出発点。
 一つのシーン(カット単位、あるいはセンテンス単位でお考えいただいても結構です)では、『“入り”と“引き”の落差』こそが『【ストーリィ】(状況)の進行』を表します。しかし同時に、このカットで『【ドラマ】(【登場人物】達の葛藤)』を表していれば、さてどうでしょう。

・『“入り”の状況』
 ↓
・『【ドラマ】(【登場人物】達の葛藤)』
 ↓
・『“引き”の状況』

 私の【認識】としては、この時『【ドラマ】(【登場人物】達の葛藤)によって【ストーリィ】(状況の変化)が進行する』という【構成】が出現します。

 ただし先述の通り、この【構成】は容易に成立しません。
 【ストーリィ】の進行と、【登場人物】の人格とを巡る理由があって、つまり『ダイナミックな状況展開を望むか、望まざるか』という葛藤があって、『【ドラマ】は、“入り”と“引き”の状況の変化(つまり【ストーリィ】)を望まない』ことがほとんどだからです。

 さて、ここからが本題ということになります。

 上記の背景を受けて工夫を講じることになるわけですが、例えば私が良く用いる『シーンの展開』は以下の通り。

・『“入り”の状況』
 ↓
・『【登場人物】達の【順当】な行動による葛藤(【ドラマ】)』
 ↓
・『【想定外】の発生』
 ↓
・(『【想定外】に対する【登場人物】達の葛藤(【ドラマ】)』:省略可)
 ↓
・『“引き”の状況』

 いかがでしょう。『“入り”の状況』を受けての『【登場人物】達の葛藤(【ドラマ】)』だけでは、確かに『【順当】な展開』のみになってしまいがちです。これでは状況(【ストーリィ】)は劇的に進行しようがありません。つまり『【ストーリィ】が停滞する』わけです。
 しかしここで『【想定外】の発生』を挟めば、さてどうでしょう。【想定外】を巡って『【登場人物】達の葛藤(【ドラマ】)』にも変化が起こり、その変化は『“引き”の状況』に至る落差を生み出し得ます。この『状況の変化』は、即ち『【ストーリィ】(状況)の進行』ということになりますね。

 では、この【想定外】はどこからもたらされるのか――というところにご興味が向くことと推察しますが。
 ありていに申してしまえば、これは『【物語】となる【潮流】』とは【多重並列】に進行する【潮流】から――ということになります。

 ◇

 さて、今回は一旦ここまで。

 【想定外】なるもの、つまりここでも役に立つ【概念】――と、私は【認識】しております。【順当】を望む立場からすると厄介極まりないのが【想定外】というものですが、よく考えてみれば【登場人物】にとっても【順当】をかき乱すのもまた【想定外】――というわけですね。
 もちろん初期から【想定】していないわけですから、【想定外】は『【物語】となる【潮流】』の外から来る、ということに。ここで【潮流】、『【文脈】(コンテクスト)という【捉え方】』でもご紹介した【概念】が活きてくる、というわけです。

https://note.com/nakamura_naohiro/m/mc423bc0a28e1

 次回は一旦この【潮流】について掘り下げてみましょう。


 よろしければまたお付き合いくださいませ。

 それでは引き続き、よろしくお願いいたします。

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