加齢について考える。

ワタクシ事ではありますが、本日の誕生日で53歳になりました。気が付けば50代。前にも書きましたけど、サザエさんの父・磯野波平54歳と同世代になります。
サザエさんに出てくる波平は、昭和の時代を象徴した一般サラリーマン家庭のお父さんだったんでしょうね。波平は、60歳定年まであと6年になりますけど、カツオ11歳、ワカメ9歳って、考えてみると結構大変な感じじゃないですか。
ワカメが大学まで行くとすると、あと13年は頑張らないといけない。ってことは、波平は67歳になるわけです。今だったら、その年で働くことも珍しくないでしょうけど、昭和の時代から見ると、大変だろうなぁって思いました。

最近、「人生100年時代」って言われて、60代でも働いていらっしゃる方は大勢します。
むしろ、60代からのキャリアをちゃんと考えた方が良いかもしれません。
「やりたいこと」と「できること」と「求められること」がクロスする点が重要なんでしょうけど、だとすると「できる」領域を広げることが肝になるのかもしれません。
何となく無駄に年をとるんじゃなくて、その年齢分の「できる」ことをつくりたいですね。
今日から50代の7年間を、更に「できる」領域を広げる期間として考えたいと思います。

自分の誕生日とその年齢をきっかけに、波平と比較してみたのですが、昭和と令和の年齢に関する価値観とか捉え方にギャップがあることが分かります。それだけこの数十年で少子高齢化が進み、平均寿命も長くなってきたわけですね。
だとすると、もっと昔と比べたらどうかと思って、53歳で死んだ歴史上の人物を調べてみました。まず出てきたのが「源頼朝」。言わずと知れた鎌倉幕府初代将軍。1199年2月没。享年53歳。だったらしい。
あと、有名どころで言えば、「武田信玄」。言わずと知れた戦国大名。1573年5月没。享年53歳。だったらしい。
鎌倉時代の平均寿命は24歳ぐらいで、戦国時代で30歳前後だった様なので、それからすると2人とも「長生き」したと言えるのかもしれません。


さて、話は変わるんですけど、今朝の日経新聞の一面に、日本の森林の「高齢化」が記事になっていました。戦後の復興を兼ねて植林を進めた歴史がありますが、その人工林が高齢化を迎えている様です。記事で知ったんですけど、森林のCO2吸収量は、樹齢30~40歳でピークを迎え、その後は減少していく様です。
更に手入れされず放置された森林は、台風などの災害にも弱くなり、CO2の吸収源としても認められなくなるとのこと。
昨今のSDGsやESG投資の気運の高まりを含めて、ソーシャルグッドな文脈で物事を評価する様になってきました。脱炭素の観点から人工林のサステナビリティを考える必要があります。

国内に目を向けると、上述した森林に加えて、都市インフラも高齢化を迎えています。
戦後の復興から高度経済成長期に整備したインフラが一気に高齢化し、先日の関東の地震でも水道設備の被害が報道されていました。
1964年に開催された東京五輪は、日本の戦後復興と高度経済成長を象徴するイベントだったわけですが、それから57年が経過しました。この64年の五輪を目標に新幹線や高速道路が整備されました。

日本の高齢化問題は、我々人間だけでなくて、自然環境(人工林)から都市インフラに至るまで共通の問題であることが分かります。
人口減少フェーズに入った我が国において、都市機能のコンパクト化は以前から言及されてきました。それが、今般のコロナによって、都市への人口集中から、郊外・地方への分散へ潮目が変わるかもしれません。
安宅和人氏が提唱する「開祖化」や「風の谷プロジェクト」の文脈でこれからの住環境を考えることも一つの方法でしょう。

人間にしろ、自然環境にしろ、都市機能やインフラにしても、年を重ねるほど機能の新陳代謝によって、或いは、updateによって拡張・発展する様な未来を描きたいですよね。
人間に関して言えば、単純に加齢への抗いなのかもしれません。
人間の加齢で言えば、今回開発されたメッセンジャーRNAワクチンの登場は、今後様々な治療薬への拡張性を持っていると言われます。結果的に(コロナによって)何十年分も技術革新を圧縮したことになるかもしれません。
人類の英知は、人間の加齢にもソリューションを提供しようとしています。
「人生100年時代」は単なるキャッチコピーではないのかもしれませんね。


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