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迷走するセクシャリティ

先日の朝から大雨の日にこの原稿を書きました。 
これでもかと迷走したあげく、文句のつけようもない晴天の今日に至りました。

昨日くらいから意味不明な感傷に心を占拠されています。
糖質制限だとか、グルテンフリーにストイックになっていたので、セロトニン不足でしょうか。 それとも俗に言う次元上昇の前触れでしょうか。
叩きつける雨音に閉じ込められて安堵する私です。
こんな日は自由を奪われている感じがちょうどいいのです。
どしゃ降りの中を走りだすようなエネルギーは今の私にはありません。
股関節が可笑しくなりそうです。
そういえば、19才のころ去っていく男を追って裸足で走ったことがありました。 ふと頭をよぎった断片的な記憶に苦笑しました。

唐突ですが、恋愛においてハグの威力は大きいと思います。
ジッとハグすることで、無言のうちに会話がなされていきます。
言葉にしづらいことをしゃべらなくても勝手に美化されていきます。
恋愛はある意味錯覚だと思うのです。
今の私は錯覚できなくなったからか、セクシャリティが変わったのか、人に触れられることが想像できません。
これをリアルに感じたのは3年位前です。
何をいまさらと言われそうですが、アセクシュアルではないかと思うのです。 いろんなことを経てアセクシュアルを自覚することってあるみたいです。 そんなもの年齢のせいでそういう欲がなくなっただけの話じゃないかというご意見があるのもごもっともです。
でもYouTubeで人生相談って聞いたことありますか?
いくつになっても愛憎劇はくりひろげられているのです。

そんな私ですがBLは大好きなんです。
数あるBL作品の中でも、特殊でありながら、私の中の1位をキープしているのは、ヨネダコウ先生の「囀る鳥は羽ばたかない」です。
その主人公、矢代が私の一番の推しです。
よく攻めに感情移入するとか、受けに感情移入するとか言いますが、私はどちらにも感情移入はしません。
第三者なのです。
矢代には幼少期にうけた性的虐待故の性癖があります。
極道という男社会で、男を色で落とすことに対してさまざまな馬事雑言を浴びても、自分を卑下することはありません。
自分が嫌なことはしていないので、一石二鳥くらいにしか思っていません。
人をうらやましいと思ったことはないという高い自己肯定感が、大好きです。 罪な美しさと、やわらかい心でやりすごします。
百目鬼に惚れてから、少し心がほころびるのは、真実の愛にふれたからだと思います。  それでもすべてを人に預けない。 その心にさっと秘めるところが、今の時代には欠如しているから、なおさら愛おしくその生きざまに心酔してしまいます。  アクリルスタンドを先行販売で買いました。
黒のスーツで、二人が見つめあっているそれが6月に届きます。
見ているだけでドキドキしてしまうので、それがあることが日常にならないように、今、どこに置こうかと悩んでいます。

いろんなセクシャリティがあることも認知されつつある世の中ですが、セクシャリティに正直に生きるのか、社会的なことを考慮して生きるのかは、人それぞれです。
つい最近NHKでニッチな結婚相談所の話を聞いた時は複雑な思いでした。
登録している男性の大半がゲイで、女性の大半がアセクシュアルです。
性以外のさまざまな価値観を共有できそうな人とマッチングします。
その目的は、社会的な立場をえるためだったり、子供が欲しい(人工授精)
ということもあるようです。
個々の価値観なので自由ですが、ついに人間も養殖みたいな気がしました。
世の中は崩壊しかけたルールの中で、より複雑になっていきます。
ありのままの自分を受け止めて、風のように生きたいものです。

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