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WEBコンプレックス

できればそこはスルーしたいんです。
noteをみていても、webを駆使している人達のページは、いろんなものが貼り付けられてて、フォロワーを増やしたり、何だりのしかけがいっぱいで、私には何のことやらです。   短期間で収益を上げたみたいな話も で! だから!って思います。  フォロワー数がすべてですか? そこをあきらめたら、脱落者でしょうか。

資本主義社会も終焉に向かっているのに、SNSではそこかしこで、相も変わらず、成果主義が当然のようにはびこっています。
やはりまだまだ人は、他人の承認なしでは生きてる気がしないのでしょうか。 ものの価値はお金に変換してはじめて実感できるものでしょうか。

noteをはじめた当初、私は人の投稿を見るのがなんだか怖くて見ませんでした。  見ることで、自分がそこに違和感なくなじもうとしそうで、怖かったからです。  最近になってやっと人の投稿にも触れさせていただいています。  自己表現を追求してるタイプの投稿がすきです。
また文学的要素の強いものと、アートもです。  いろんな人の人生や感性に触れるのは、興味深いことです。

私は今、その日暮らしみたいな暮らしぶりですが、さして欲しいものもありませんし、心は満たされているのではないかと思います。
60才でタバコをやめて、65才で糖質をやめてと、最近やめるものばかりです。 どんどん生活がシンプルでタイトになってゆきます。
これだけ聞くと、つまらない女っぽいですよね。
実際つまらない女です。
でも出家したわけではないので、ぬぐいきれない煩悩はあります。
しかしこのところ体調はよく、グルテンやめてから、けっこう食べても太らないので、身軽極まりなく、どんな服でも着こなせそうです。
遠目でみたらミニスカートでもいけそうです。
災害がおきて、食べるものがなくなったら一番に死んじゃうんでしょうけど、それはそれで天命と思うしかないですね。
物欲に支配されない、ミニマリストに近づいてきています。

以前に俳優の堺雅人さんが、スーツケース一つで引越しできるっておっしゃっていたのを聞いて、身一つで生きてる感じがカッコイイなと思いました。
中々そこまでには至りませんが、物質やお金や名誉といったものにとらわれない今のその日暮らしは、けっこう気に入っています。
そんなふうに思っていても、しらないうちに、何かに執着している時があります。  生きているというのは、そういうことなんだと思います。
webコンプレックスもその一つです。
勝手に自分を追い込んでいます。 
そんな時に、書くことで自分の気持ちを掘り起こしてみます。
noteに取り組む私の目的は、頭の中にいつのまにか芽生えてしまった違和感を具現化すること。  そして今までの人生で経験したことが多少でも、生きづらさを抱えて生きてる人の気づきになればと思っています。
そんなところなんです。
そうしてみると、どの道、収益を望んでいないのだから、そこは潔くあきらめて我が道をいけば問題ないのかと、思うに至りました。
そこというのは、webを使いこなすことです。
少し前までだったら「やーめた」って終了していたと思うのです。
意外と短気なんです。
可笑しいけど、成長したんですね。  思慮深くなったとでもいいますか。
誰も褒めてくれないので、自分で褒めてみました。
私は私以上でも私以下でもないのですが、こうして変化し続けられる柔軟性を持ち続けられたらいいなと思います。
noteさんありがとう。 3か月そこそこですが、私は書くことも少しずつですが進化していると思います。

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