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人は起きた出来事で幸せになれるわけではない

人は起きた出来事で幸せになるわけではないんです。

確かにプレゼントを貰ったり好きな人と一緒にいれば、幸せに感じますがそれは幸せだと思うから、幸せなのであって不幸だと思えば不幸になってしまうわけですよ。

つまり幸せは考え方で決まるということです。


起きた出来事で幸せにはならない

「何が起きるか」よりも「どう思うか」の方が重要です。

事実よりも解釈の方が大事ではないかと。

例えばリストラにあった時に「これで嫌な上司とは会わなくて済む」とか、「次にもっと良い会社に行くチャンス」だと思えば良い出来事にもなるでしょう。この場合むしろリストラと言う出来事が、幸せな体験になっています。

しかし逆に「これで稼ぎが無くなり生きていけなくなった」とか、「もう自分は存在価値が無いんだ」と考えると不幸な体験になります。

このように起きた出来事をどう解釈するかで、良い体験になったり悪い体験になったりするんです。

だから事実よりも解釈の方が大事なんですよ。

幸せを実感するためには。

例えば別の例を挙げると病気になった時に、その体験を前向きにとらえてより健康を意識するようになれば、病気をきっかけにしてより元気になれるかも知れないわけです。困難な出来事があってもそこから学び、成長が出来たのであればその出来事は良い体験になるはずです。

余命を聞かされた時に「残された時間を思う存分楽しもう」と思えば、ストレスがかなり緩和して人生を楽しめるでしょう。

しかし「あと1年しか生きられない」と思い絶望するとどうでしょう。

そこから成長することもなければ、人生の楽しみも無くなりただ病気の進行だけ進むようになるんです。そういうネガティブで後ろ向きな考えでは、より死亡リスクを高めてしまいます。

病気になっても「健康になるように頑張ろう」と思っている方が、より努力するでしょうからね。


前向きに考えるために必要なこと

その方が死亡リスクを下げるのは明白でしょう。

もちろん嫌な出来事を良い体験だと思うのは難しいことです。

上手くポジティブに考えることが出来ないのは当然です。人間は基本的にネガティブな生き物ですから、自然と悪い方向に考えてしまうんです。なのでしょうがない部分もありますが、その考えで本当に幸せになれるのかは、改めて考えるべきではないかと思うんです。

悪い出来事で落ち込みクヨクヨしても、事実は変わりません。

そこで足を止めてただ落ち込んでいるだけで、幸せになれると言うモノでもないと思うんです。

だからこそ前向きな解釈をした方が良いんじゃないかと。

事実は同じでも自分の頭で考えることが違えば、幸福にも不幸にもなりうるわけですから、都合の良い考え方と言うのも時には大事かなと思うんですよね。

それが人に迷惑をかけるような行為でなければ良いわけですから。

しかもそうやって考えていればやがてコントロール感が生まれます。

コントロール感を持つと「人生は自分の努力で変えられる」と、思うようになれるので気持ちが楽になります。実はコントロール感は幸福度と強い相関性があって健康、人間関係、について第3位に入るほど大事な要素です。

「自己決定」とか「自己選択」と言われていますが、自分で何事も決められるというコントロール感は無駄なストレスを無くして、前向きに生きる原動力を与えてくれるんですよ。


コントロール感は幸せの元

コントロール感は実際に自分がコントロール出来ていなくても、その感覚を持つことが大事なことなんです。

例えば職場で全ての権限が無くても、自分で決められる範囲はあるはずです。その自分で決められる範囲で自由に動き回り、コントロールしている感覚を持つことに意義があるんです。

その感覚があれば「こうなったらこうしよう」と考えることが出来るので、「トラブルになったらどうしよう・・・」と悩まなくて済みます。

自分のやることが決まっていたらそれをやるだけですから、変に「この先どうしよう・・・」なんて考えなくて済むわけです。

そう思えれば悩みも解消するでしょう。

だからコントロール感が重要だと言えるんです。

コントロール感が無いと無力感を抱きます。

「自分は無力」だと思えば何もしなくなるのが人間ですから、そうなればあらゆるデメリットを生み出し、行動するだけで自分を変えるチャンスがある時さえも、行動しようとしなくなるんですよ。

だからこそコントロール感は意外と大事なんですよね。

幸せになるためには解釈を大事にして、コントロール感の重要性に気づくことが大事かなと思います。


何者でもない僕をサポートしてくれるならあなたの気持ちに答えれるように、これからもコツコツ頑張っていきます。