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人は時として悪いことを求めてしまう

人は常に良いことだけを求めるわけではありません。

時には悪を求めることもあってそれが人間なんですよね。みんなそういう部分を持ち合わせていると思います。しかしどこかで「自分は常に人のことを考えていて、ルールを守り規律のある生活をしている」と考えてしまうのです。


「自分だけは間違ったことはしない」と。


そう思っている人は多いと思います。

しかし実際は利己的で時にルールを破り不規則な生活をします。

例えば健康のことを考えるなら、「バランスの取れた食事をした方が良い」というのは明白です。これは誰もがわかっていることですが、実際のところは酒やタバコを摂取したりしますよね。

人によっては運動も全くせず怠惰な生活を送ったりすると思います。

これが現実でしかもそういう生活をどこかで好んでいるんですよ。だからオーガニックの野菜を摂取するよりも、ニンニクマシマシのラーメンを食べたくなるんです。人はそういう「強い刺激」に弱くどうしてもそういう快楽を求めてしまう生き物です。

人のこういう心理を知ることも重要だと思います。

なぜなら人には裏の顔があるのでその欲求を満たすことも必要だからです。そういう人の悪い部分を理解しないと、人間を理解することは出来ませんからね。要は誰だって甘えたい願望があるんですよ。自分のことを考えてくれる厳しい親よりも、ルールを破るヤンキーの先輩に惹かれたりすることがあるように、そういう悪を好む性質が確かに人にはあるんです。

激しいトレーニングをするよりも家でダラダラすることが好きで、必死に勉強するよりも横になって漫画を読みたいと思うんです。

それが人間です。


こういうのは誰にでもあることなのでその部分を認めてあげないと、人間関係を円滑にすることは難しいと思います。


正論ばかり言う厳しい人は嫌われますからね。

だからこういう悪の部分を認めて上手く付き合うこと。

それもまた必要なのではないかと。

例えば「不満が多い人」っていますよね。

必要以上に企業に対して「もっと良いサービスを提供しろ」とクレームをつけるような人はいます。こういう人は会社でも愚痴が多いだろうし、政治に対しても不満を述べたりするでしょう。

とにかく「もっと欲を満たしたい」という強欲さを持っている人がいるんですよ。

こういう欲求は多かれ少なかれ多くの人も持っている欲求だと思います。

しかしそういう欲もまた必要なんですよ。


なぜならそれが社会が発展させるから。



「みんなで平等に貧しい暮らしをしていればそれで良い」と思ってしまうと、社会は貧しいままでなんの発展もしないでしょう。世の中がもっと便利にもっと住みやすくなるのは人間の欲求があるからです。だからその欲求を満たすために、社会が発展してもっと便利にもっと住みやすくなるんですよ。

そう考えると悪徳な欲求も決してダメなものではないと言えます。

そういうわがままな考えも必要だと言えるでしょう。

悪い部分は誰にでもありますがその悪い部分を、上手く活用することで生活がかなり変わると思います。異性にモテたいから必死で自分磨きをするとか、カロリーの高いモノを食べるために運動をするとか、遊ぶために早めに宿題を終わらすというのは決して悪い考えではありません。

好感度を上げるために寄付をするとかもそうです。

どこかでやましい気持ちを持っていても、それが成長に繋がったり社会貢献に繋がっていればそれはそれで良いところもあるわけですよ。

だから悪い部分を否定するのではなく上手く活用する。

こう考えるほうが建設的だと思うんですよね。

何者でもない僕をサポートしてくれるならあなたの気持ちに答えれるように、これからもコツコツ頑張っていきます。