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良くも悪くも人の心理は複雑なモノだ

人は他人にバイアスをもって接します。

バイアスと言うのは偏った見方のことであり、要は偏見をもって接しているということです。実は人間関係ではこのバイアスがかなり強烈に作用しているんですよ。


人はバイアスをもって他人と接する

例えば好きな人がすることは何をしても好印象になります。

好きな子がドジを踏んだ時に「可愛らしい」とか「愛嬌がある」と思うんですよ。でもこれが嫌いな人だと「要領が悪い」とか「うっとうしい」と言う風に言われてしまうんですよね。

同じ行為でも元々の印象でイメージが真逆になるんです。

このようなバイアスはあらゆるところで見かけられます。

例えば部分だけを見てその人の性格的なことを予測することもあります。例えば街中で怒鳴っている人を見た時に、「ひどいクレーマーだ」と思うかもしれないし「短気な人なんだな」と思うかもしれません。

しかしそれは「怒鳴っている」という部分だけを見て偏見で決めた印象でしかないのです。

もっと全体を見ないとその人がなぜ怒鳴っているかはわかりません。

ひょっとしたら3回も4回も同じミスを繰り返されたから、怒鳴ったのかも知れないし、余命3か月を宣告されて精神的におかしくなっていただけかも知れないわけです。

つまりストーリーがあって結末があるのに、結末部分だけ見て評価してもそれは適切な評価ではないということなんです。

もっと全体をみないとわからないことはありますから。


人を多面的に見る

でもなぜか全体を見ようとはせずに部分だけで判断してしまうのです。

人間の脳はよほどのことが無い限り深い思考はしません。考えるという行為にはエネルギーを使うので、無駄なエネルギー消費を抑えるために基本的に人は深く考えずに直感的に判断するようになっているんですよ。

だからバイアスをもって判断してしまうのです。

ただその判断が正しいとは言えないわけです。

怒鳴っている人でも実は優しい人かも知れないわけで、逆に優しくて良い人でも裏で悪いことをやっているかも知れないわけですから。なので自分の思考に疑いをもって多面的に見る練習は必要なのかなと。

例えば失敗したときに相手の性格を咎めるケースがあります。

「普段からお前はそういう節がある」
「本気でやってたら失敗なんてしない」
「どうせ雑にやっていたんだろう」

など言って相手を非難したくなることがあります。

相手に悪意があったから悪い結果になったんだと思い込む傾向があるのです。

しかしそれは過失による失敗の可能性もあるわけです。つまり悪意があったわけではなく事故的なものである可能性があるんです。なのに相手の性格を咎めるようなことを言ってしまうのはどうしたものかと・・・


バイアスの壁は超えられない

同じミスでも真面目な子がミスをすればしょうがないで済まされます。

「真面目なアイツが失敗したんだから何か訳があるんだろう」

と思われやすいので非難を浴びない傾向があるわけです。しかし普段からフラフラしてる人がミスをすれば「やっぱりあいつは集中力が無くてダメな奴だ」と言われてしまうんですよ。

これも完全にバイアスによる判断です。

ただこのバイアスが悪いのかというと、必ずしもそういうわけではないんです。

なぜなら1度良い人間関係を構築しておけば、なかなか評価が悪くなることが無いとも言えるからです。好きな人が少々ダメなことをしても、良い印象で見てくれるし好きで居続けてくれるわけですから、これは人間関係を良好に保つためのメリットとも言えるんですよ。

ただデメリットして悪い評価は悪いままだし、逆の評価をしてもらいたい時にこのバイアスが大きな壁になります。

嫌われている人が好かれるのは難しく、1度嫌われてしまうと仲良くなるのは困難です。

むしろアピールすればするほど嫌われるわけですから。

純粋な気持ちでアピールしたのにストーカー扱いされてしまうわけです。逆にストーカーに嫌われようと思っている女性が、相手に対して冷たく接しても「それがまた良い」とストーカーに思われて、なかなか嫌ってもらえないというケースもあると思います。

ストーカーの問題が深刻化する理由はこのバイアス問題もあるでしょう。

このようにバイアスはメリットとデメリットがあるので、両方の理解が必要だと思います。

何者でもない僕をサポートしてくれるならあなたの気持ちに答えれるように、これからもコツコツ頑張っていきます。