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自分らしく生きること「だけ」を考えるのは危険

自分らしさを隠すのも必要なことです。

なぜならどの分野でも成果を出すためには、自分らしくない部分が必要になるから。例えば人前で話すのが苦手とか、そもそも人間関係が苦手という人は多いですよね。

しかし世の中で人間関係を避けて生きることは出来ないわけです。


仕事でそれなりの成果を出したりトラブルを回避しようと思う時には、必ず他人の助けが必要になるでしょうから。



そういう時に他人に頼れないと良い成果は期待できません。

起業して多くの利益を生み出したいならチームをまとめる能力が必要だし、普通に働く時でさえ他人と上手くコミュニケーションをとる必要があるわけです。学生なら勉強のわからない部分を誰かに教えてもらうことが必要だったりしますからね。

そういう時にコミュニケーションスキルは必要です。

だから人間関係に苦手意識があってもその気持ちを押し殺して、行動しないといけない場面はあるわけです。なので自分のありのままの姿で生きることばかり考えるのは違うわけですよ。

時には偽りの自分で生きることも大事なこと。

それが無いと人生が上手く回らないですから。

例えばコミュニケーションは得意でも逆に、集中力が無かったりコツコツ地味な作業をするのは苦手という人もいると思います。複数の人とコミュニケーションを取っている方がラクで、1人で黙々と作業することにストレスを感じる人はいます。

こういう人でも時として黙って作業することは大事です。

仕事中に他人と話してばかりだと周囲から、「落ち着きがなく集中力がない人」だと思われるので信用を落としてしまいますから。だから1人で黙々と作業できる人間性も必要になる瞬間があるわけですよ。



自分の能力を磨くには地味な作業も必ず必要になりますからね。



だから「自分らしく生きていく」とだけ考えるのは危険な部分もあるんですよ。

なので注意してほしいなと。

時には自分らしくない瞬間も必要ですからね。

もちろん「自分の長所を伸ばすこと」は必要なことですよ。なので自分らしく生きるのは決して間違いではありません。むしろ短所の克服よりも長所を伸ばす方が重要性が高いとは思います。

しかし完全に短所を無視するというのは別の話です。

短所を完全に克服する必要はありませんが、ある程度はそこと向き合い嫌なことも我慢するときは必要だと思います。自分のダメな部分を放置して諦めてしまうと、その短所が大きな損害を招くきっかけになりますからね。

なので短所が暴走しないように多少は克服しておくことも必要だと思うわけです。

だから時として自分らしさを捨てて割り切って生きること。

例えば私生活において人間関係の上で嫌なことがあっても、ポジティブに演じることは必要だと思います。ネガティブな状態で生活していると自分のメンタルにも悪影響だし、何よりも他人に対して悪い印象を与えますからね。


またそのまま性癖をさらけ出すと「変態」だと思われて、世の中から不快な目で見られることもあるわけです。


だから偽りの自分も必要だと言えるわけですよ。

全てをさらけ出してありのままに生きるのも違うということです。

それは楽な生き方かもしれないですが良い生き方だとは言えないですから。もちろん自分らしく生きる瞬間はあっても良いと思います。しかし常に自分らしさ全開だとどこかで問題にぶつかるので、その辺りは配慮して自分らしさを適度に隠すことも必要だと思うんですよね。

なので配慮しながら適度にありのままの自分でいること。

結局はこういうバランス感が必要なんだろうなと思います。

何者でもない僕をサポートしてくれるならあなたの気持ちに答えれるように、これからもコツコツ頑張っていきます。