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中道通り商店会アーカイブ

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中道通り商店会の歴史やイベント・キャンペーンの記憶と記録をまとめています。
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2023年中道通り商店会の振り返り

3年ぶりの新年会はホテルで新型コロナウィルス感染症とのつきあいも3年目を迎えた2023年。 前年からの「withコロナ」の流れを受け、感染対策に配慮しながら、3年ぶりになんとしても新年会を開催したいという想いのもと、役員の皆さんと検討した結果、吉祥寺エクセルホテル東急さんで、着席でコース料理を楽しみながら、会員同士の親睦をはかるスタイルで開催にこぎつけました。 ボクが商店会に関わる前に当時の第一ホテルで開催したことがあるかもしれないので、正しくはここ20年あまりということだと

吉祥寺西公園の謎テント

20年眠り続けた防災テント吉祥寺西公園の防災倉庫に、開園当初から眠り続けている災害発生時に使えると伝えられて来た大型テントがある。 地域の一部の人たちしかその存在を知らないこの大型テントは、公園開園時に行われた映画鑑賞会で使われたという都市伝説が残るだけで、実際に立っている姿を誰も記憶していないという不可思議な存在。 吉祥寺西公園は、発災時に仮設トイレが設置でき、水道水の提供などができる公園で、武蔵野市の中でも防災機能を持ち合わせた公園のはしり。 今となっては機能が更新されて

つながる・うまれる

中道通り商店会と地域で活動されている様々な団体との協働作業について記します。 「西公園なかよし祭り」のはじまり2016年(平成28年)秋に開催された地域懇談会だったと記憶しています。 吉西福祉の会(吉祥寺西地域福祉活動推進協議会)と西コミセン(吉祥寺西コミュニティ協議会)の方々が中心となり、それまで10数年に渡り吉祥寺西公園で開催してきた「防災祭り」を発展させて、地域のお祭りにして行きたいという意見が出されました。 吉祥寺西公園には、災害時に避難できる公園として、仮設トイレ

キャンドルを灯して

2016年(平成28年)12月11日にはじまった、「中道通りキャンドルナイトハートフルストリート」について記します。 地域のイメージアップをはかろうボクが会長になった2015年(平成27年)に、商店会の体制を一新し、地元に住んでいるいわゆるオーナー会員から、お店のスペースを借りて営業している様々な業種の会員の皆さんまで、年齢と業種のバランスのとれた様々な方々に役員になって頂き、最後に世界的な企業でもあるユニクロ吉祥寺店の総店長にも役員就任をお願いし快諾を得ました。 そんな新

中道祭礼物語

お神輿や太鼓山車の運行など中道通りの秋祭りを運営する地域のお祭り好きの方々と商店会の会員で構成される祭礼団体、「中道祭礼」について記します。 お神輿に神様をのせて吉祥寺秋祭りは、昨年2022年(令和4年)に第50回という節目の年を迎えました。吉祥寺でお神輿を担ぐようになった理由はきっといくつもあったと思いますが、一番大きかったのは、高円寺をはじめほかの駅周辺の商業エリアに負けないお祭りを作りたいという先人たちの想いでした。 始まった当時、この地で商いしている方々は皆さんこの

試行錯誤のクリスマス

今回はクリスマスのイベント事業にフォーカスしたいと思います。 一大商機、クリスマスクリスマスは、1年の中で最もモノが売れる時期なので、商店街も大型店も、どこもかしこもイベントやキャンペーンが盛りだくさんに開催される時期。 中道通り商店会もご多聞に漏れず。ボクが商店会に関わる前のことは記録がないので今のところわかりませんが、関わるようになってからは、毎年のように様々なクリスマスイベントが開催されてきました。 アナログ時代は抽選のオンパレード手元に記録やビジュアルが残っている

お神輿の記録

中道通り商店会のお神輿について、記憶をたどりながら記録します。 手作り神輿わが商店会には、先人たちが手作りしたお神輿が残っています。 1979年(昭和54年)9月11日、設計から完成まで半年以上の月日をかけてお披露目された、先人たちの熱い想いがこもったお神輿です。 その年から毎年秋になると有志が集まってこのお神輿を担ぎ上げ、中道通りを渡御してまわったそうです。 ボクも2005年(平成17年)にお店を出して商店会にお世話になった頃は、このお神輿を担いでいました。 このお神輿は

お祭り万歳!

振り返るとよみがえる思い出中道通り商店会のお手伝いをするようになってから、何をしてきたのか。 振り返ってみると様々なことが思い出されますが、まずはどんなイベントをやって来たのかにフォーカスします。 ボクの記憶に残っていない記録のあるイベントボクの手元にある昔を知る唯一の資料、1998年(平成10年)の定期総会資料を見ると、春と秋に「ガレージセール」という、想像するに販売を主としたセールを開催していたようですが、詳細はわかりません。 こちらは、今後機会を作って先輩の皆さんに取

新型コロナ商店会模様

日本国内ではじめて感染者が確認された2020年(令和2年)1月15日から丸3年の月日がたったので、この3年間の振り返りをしておきたいと思います。 今後状況が変化したら、都度追記して行こうと思います。 はじめて経験した緊急事態宣言2020年初頭からはじまった新型コロナウィルスとの闘いは、商環境の急激な変化と大きな不安をもたらしました。 特に2020年(令和2年)4月8日から始まった第一次緊急事態宣言で、店は休業を余儀なくされ、大型連休にも関わらず、街から人がいなくなりました。

東日本大震災を経験して

2011年(平成23年)3月11日(金)14時46分ボクは商店会MAPの店舗画像の撮影のため、「カサハラ装美」さんの前に、当時マップを作ってくれていた「吉祥寺ECCO!!」の編集の方と一緒にいました。 突然の大きな衝撃。止めてあった軽自動車が波にもまれる船のように目の前で揺れ、一緒にいた編集の方は立っていることができずしゃがみ込み、2階から顔を出した笠原さんのお父さんが「おーい、大丈夫かあ」と、わりとのんびりした響きで声を掛けてくれたことをまもなく12年がたつ今でも鮮明に覚え

中道ハンドブックとマップの話

若手役員の意見から始まった総会資料などの記録が残っていないので記憶が頼りですが、手元に残っている2006年度(平成18年度)に作った「吉祥寺中道ハンドブック」が恐らくお客様向けにお店の情報を掲載して会員店舗で配布したはじめての冊子とマップではないかと思っていました。 前年、ボクがお店を出して商店会活動のお手伝いをスタートし、当時あった増田屋さんというお蕎麦屋さんで開催されていた役員会の末席を穢していた頃、スペイン料理「ドスガトス」の高森さんから、商店会でお店を紹介する冊子やマ

その後のアーチと街路灯

まさかの事態2011年(平成23年)の震災後だったと記憶しています。前年に現在ユニクロが立つ場所にあった銀行の支店が閉店し、いよいよ建物を解体することになって、まさかの事態が。 中道通りの駅側にあったアーチの撤去を、土地の所有者から要請されたのでした。 アーチの足が銀行の土地に立っていた当時の会長のもとに、ある文書が届きました。それは、銀行がなくなり建物を解体する時には、アーチも撤去するという約束の文書でした。 ボクら当時の役員にとっては青天の霹靂で、まさかアーチの足が銀行

アーチと街路灯

総会資料からひも解く一大事業手元に1997年度(平成9年度)の事業報告が記された定期総会資料があります。2008年度(平成20年度)以前の資料で唯一手元にある貴重な記録です。 しかもこの年は、現在中道通り西側の入口に立つアーチと41本の街路灯およびモニュメントと呼ばれる4本の装飾灯を建設するという、史上最大の事業が行われた年でもありました。 アーチと街路灯は商店会が管理するインフラ商店街の入口にかかるアーチ。これは「ここからは中道通り商店会ですよ」というある種のマーキング(

中道通り商店会の歩み

昔は末広通りとつながっていた?!吉祥寺駅が開業する1899年(明治32年)以前、駅も線路もなかった時代、「中道通りと末広通りが一本道でつながっていた」という話を聞いたことがあったので、市役所7階の市政資料コーナーに古い地図はないか見に行ったところ、ありました。武蔵野市開村100年記念で配ばられた古地図の写しが。(※1) 当時、この通りが中道通りと呼ばれていたかどうかは定かではありませんが、周辺は畑が多く存在し、人とモノが行き交う農道であったと想像できます。 第2次世界大戦後、