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アーチと街路灯

総会資料からひも解く一大事業

手元に1997年度(平成9年度)の事業報告が記された定期総会資料があります。2008年度(平成20年度)以前の資料で唯一手元にある貴重な記録です。
しかもこの年は、現在中道通り西側の入口に立つアーチと41本の街路灯およびモニュメントと呼ばれる4本の装飾灯を建設するという、史上最大の事業が行われた年でもありました。

アーチと街路灯は商店会が管理するインフラ

商店街の入口にかかるアーチ。これは「ここからは中道通り商店会ですよ」というある種のマーキング(目印)ですが、現在はその目印の外側や井の頭通り、さらに横道にも会員店舗があるので、象徴的なモニュメントと考えてよいと思います。
街路灯は、夜間中道通りの明るさを保ち、安心安全を守ってくれています。
住宅街を通る市の道路にある街路灯は、ほぼ市が管理していますが、商店街の街路灯は商店会が管理していることが多いです。
ちなみに、中道通りをずっと三鷹方向に歩いていくと、途中から街路灯のデザインが変わります。これは、お隣の中道第二商店会のエリアに入ったことを意味します。街路灯の形に商店会の個性やデザインのはやりが見て取れますので、街を散策する楽しみのひとつに加えて頂けたらと思います。

街路灯は古くなる

当時の会長をはじめ役員の皆さんは、古い街路灯が老朽化し倒壊の危険があったことから建て替えを計画されたと、市長宛のお願い文書から読み取ることができました。
ボクたち現役役員も、現在の街路灯の建て替えのタイミングや資金調達方法が、今後の大きな課題になると覚悟しているので、残っている資料は非常に参考になります。

1年に及ぶ大事業の経過

総会資料を見ると、前年からすでに建て替えに向けて準備が整っていたことが読み取れ、先人の意気込みが伝わります。
1997年(平成9年)4月、新しい年度がはじまるとすぐに商店会の中に「アーチ街路灯建設委員会」(委員14名)が立ち上がり、商工会議所や武蔵野市への各種申請がスタート。
5月に入るとまず定期総会でアーチと街路灯の建設が承認され、すぐに「業者選定委員会」が発足。事業者8社が説明会に出席し、5月末には、選定委員会で建設をお願いする事業者を決定したようです。
この2ヶ月、商店会も事業者も、ものすごいスピードで対応していったことがわかり、その熱量には驚かされるばかりです。
その後、パートナーとなった事業者と最終的なデザインについての勉強会や検討会、さらには工場見学を10月まで開催し、11月以降も完成まで、毎月平均10回以上打ち合わせや説明会を行ったという記録が残っています。しかし残念ながら肝心の工事期間を示す記述はありませんでした。
翌年1998年(平成10年)3月27日にアーチと街路灯が完成し、点灯式が挙行されたとのこと。まさに1997年度(平成9年度)は、怒涛のアーチ街路灯建設事業が行われたということがわかりました。

残っている図面のコピー

総工費約3,700万円?!

もちろん商店会にそんな大金があるわけがなく、当時の資料からは資金調達の苦労がしのばれます。
まずは補助金や助成金の活用です。東京都や武蔵野市の補助金や助成金をフル活用して事業資金を調達したようですが、その申請にかかる手間と労力は想像するにとても細かくて大変な作業だったと思われます。
また、こういった補助金や助成金は、建設事業が完了し、都や市の検査をパスしてはじめてお金が手元に入ってくるもの。
建設事業者に支払う代金は、一時的に商店会が立て替えなくてはならないのでした。
ボクが驚いたのは、この建設資金を商店会役員のうち代表4名が保証人となり金融機関から借入れしたことです。
短期で、しかも補助金や助成金が入金され次第返済するのでリスクは少ないと思いますが、もしも都や市の検査をパスできなかったらどうしたのだろうと思うし、ボクをはじめ現役役員が同じことができるだろうかと考えると、先人たちの並々ならぬ覚悟を感じます。

2023年は完成25年周年

来年25年を迎えるアーチと街路灯の完成後の歩みは次回に記します。

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