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へんてこなスウェット

3月20日。今日のひとり散歩は高円寺だった。
日常のシーンはここのところずっと2DKの家の中が舞台だった。それゆえに具体的な遊びの目的を達成したいというのではなく、少しは外に出て歩いて何かに触れていないといずれ人間として壊れてしまうんじゃないか、という危機感と義務感をミックスした気持ちで外に出た。

久しぶりの電車はまるではじめてのおつかいみたいで、Yahoo!乗換案内と駅の電光掲示板を見比べっこしながら、それでも中野駅終点があるということなんて完全に失念していたので、僕は自分を正当化するために中野駅から一駅区間歩くことにした。
線路沿いの何の変哲もないその道は、変哲ないなりに見覚えのある道だった。多分、東京に来てあまり経たない頃に同じように電車が分からなくて中野駅で降りたんだった。確かここにはカレー屋さんがあって、ここには地主かと思うぐらい敷地の広い家があって、ほらあった。・・・なんだかあまり成長してないなあ自分。

高円寺に着いて、最初は予定通り目的の無さを目的としてぐるりと街並み全体を見て回ろうと思っていたのだけれど、いつの間にか引き寄せられるようにパル商店街周辺を徘徊していた。上京してもう10年も経つというのに僕にとっての高円寺は未だに「古着の街」の域を出ていない。前に来たときも、さらにその前に来たときも、同じだった。いつも駅に着くまではこの神秘的な街で新しい何かを発見できるはずだという大きな期待を胸にしていて、それでも結局着いてみると「久しぶりに来たからまずは〜」なんて言い訳をして(結局インスタや食べログですぐ出てくるような有名なカフェ以外は何も知らないのだ)古着屋をぶらぶらするだけだった。

いくつか定番のお店を入っては出て、入っては出てをした。お店の人は顔と服装が変わっても「そこのシャツ僕も個人的に持っててすごい着やすいんでマジでオススメです」みたいな定型文は一貫していて、ペッパーくんに接客されているときと同じ愛想笑いをして外に出た。僕の薄っぺらい笑顔の奥にある「僕は見てるだけで買わないんですよ」という一歩引いた雰囲気をきっとお店の人は見透かしているに違いないと怯えながら、古着屋の匂いを嗅ぐだけの時間がしばらく続いた。
そのうちに一軒のお店に辿り着いた。外装はガラス張りにナチュラルブラウンの建材で、お店がそれなりに広いからなのか商品数が少ないからなのか、窮屈とは真逆の印象のお店だった。試着室の隣でたったひとりで店員をやっている髭もじゃのお兄さんの顔をガラス越しにちらりと見て、自分が以前もここで服を買ったことがあるのを思い出した。そしてそのまま自然と扉を開いていた。

「最近何を買って良いかわからないんですよね。」
試着した商品をこれ大丈夫ですと手渡ししながら、僕はその優しかった店員のお兄さんに苦笑いで打ち明けた。
「いや〜、むずいっすよね〜」
同じように苦笑いで返事をしながら、受け取った服を彼は素早く畳んでいく。
「でもやっぱりお店に通うしかないっすね。自分もそういうときあったんすよ。一応好きなショップのインスタとかはこまめにチェックするようにしてたんすけど、結局通わないと分かんないっていうか、出てこないっていうか……最後に欲しいと思った服買ったのいつなんすか?」
友達みたいなごく自然な会話をした。時折は優しい同意をしつつ、時折「いや自分は〜」みたいな主張も混ぜつつ、その会話の間も彼は僕の体型に合うスラックスとかを片っ端から持ってきてくれて「とりあえず履いてみましょ」と言うのだった。
人の合う・合わないはあるから、きっと他の店員さんにも僕が心を開いていたらこれだけ話が弾んでたのかもしれないなんて自省をしながら、結局僕がお会計をしたのは生地の裏地が表面に、表地が裏面にというふうに逆に縫製されたへんてこな薄手のスウェットだった。鮮やかなコバルトブルーで、胸のところにフリーメイソンと見紛うような三角形のワンポイントがある。絶対にこれを買いにはるばる高円寺まで来たわけではなかった。断言できる。けれど欲しくなってしまった。買った。なんでこんなの欲しくなってしまったんだ、と思いながら悪い気はしなかった。

店の外に出て一息つくと雲が昼間より厚くなって少し薄暗くもなり始めていた。帰ろうかな、と思いながら目を横に移すと、へんてこなスウェットがいる。こう見えて、お値段1万円。結構するじゃん。僕は明らかに面白くなってきていた。これ帰ったら絶対自慢しよ。裏表逆なんよって。どう思うかな。恋人の反応まで想像したら、無欲であることに悩んでいる平和な自分はもういなかった。そこからの自分はランナーズハイならぬバイヤーズハイのような気分だった。なんかちょっと欲しいなぐらいの古着もあっさりと買って、なんなら古着以外のものも買って、外食までして、あくまで心の中でだけれどもニヤニヤとお酒に酔ったような笑みを浮かべながら大きな紙袋を手に帰宅したのだった。

あぁ、幸せ。このへんてこで明るいスウェットを上手く他の服と合わせられるかどうかは最早どうでもいい。別に寝間着になったっていい。ただ僕は、欲しいものが存在したという安堵と、それをちゃんと手に入れられたという幸福感でいっぱいになっている。欲よ、僕の幸福のために長生きしていてくれ。先行きの見えない未来に押しつぶされて離れてゆかないでくれ。君のことを罪だと切り捨ててしまわないようにするから、これから先もへんてこなスウェットのように忘れた頃にひょっこりと顔を出してよ。

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