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ネットの情報しか信用できない

インターネットで簡単に情報が得られるようになり、調べ物はすぐにできます。物事の最適解というのがすぐにわかってしまう。例えば、マラソンのトレーニングをするとして、昔は、本屋で本や雑誌を買ってよんだり、身近なマラソンの経験者にどういうトレーニングをするのか確認したりしていました。しかし、今はyoutubeで検索して、マラソンの専門のトレーナーをしている人やプロのトレーニング方法を視聴したり、本の抜粋を掲載しているブログをみつけ、そこのまとめ部分だけをみたり、よい良い、いわゆる最適解といわれるものを、一番効率良いと言われるものを誰でも調べることができ、導入することができる。そういった意味では本屋にいかなくなったし、身近な先輩にきく手間もあるし、もっとすごいプロに聞いた方がいいとなり、身近な少し物事をしっている先輩というのは、軽視されるようになったわけです。

そこで何が起こっているかというと、すぐに最適解は何か、一番効率良い方法は何かを調べがちであること。インターネットに書いてあることが一番正しいことであり、リアルにあって聞く話は価値が落ちると考えてしまいがちであること。リアルに話を聞き始めると、それが正しい情報なのか、すぐにインターネットで検索してしまいがちであること。極端な話、リアルであう人が尊敬できない信用がおけないということが起き始めていると思います。

私が思うのは矛盾している2つ。一つは、リアルな人間の経験値とプロの経験値、大きな視点でみれば差は実はそこまでなく、壇上で話している人は実際よりすごくみえてしまう理論で、過剰評価してしまっている部分あると思います。一つは、その僅かな差を軽視してはいけない時もあるということです。例えにだしたマラソンのトレーニングであると、毎日こつこつ雪だるま式に自分の血肉になるものですので、早めにより良いトレーニング方法をしっていることは日々差が出てくるもので、とても大事であるということです。

こういった流れはさらに顕著になっていくでしょう。ネットでみる人からしか学ぶものがないと考える人が増えてくるとしたら、学校や塾、習い事までネットでやる時代はくるでしょう。あの人インターネットで教えてないから信用できないなんて価値観もでてくると思います。

教えてもらうということはどんどん変化しています。かつて教えるということは、家族がやっていました。自分の父親から生きる術を教わり、知識を得るということが当たり前にされてきたことです。それが教育者という人が出てきて学校の先生のような、教える専門の人に教授してもらうという時代になったのがここ100年ぐらいでしょうか。これからは更に、その分野に特化し教えるのが得意な人のごく一握りが、インターネットを通じて高い知識をより効率よく、大勢の人に教えるという時代を迎えようとしていると思います。
そうなってくると身近な人から教わるという文化はなくなり、一緒に共生する人間であるだけということになっていくのでしょうか。

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