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割に合わない応援


連日のお題タグ投稿です。

昨日、こんなことが決まりましたね。

日本高野連が今春センバツの代替試合を発表 無観客の甲子園で8月に各校1試合 リモート開会式も検討

春の選抜が中止になり、甲子園が中止になり、そのために人生を捧げた高校球児たちの心を粉々に砕くような決定がなされて、それについて可哀そうだというひと、ほかのスポーツや文化系の部員たちだって同じ境遇なのになぜ野球だけ騒ぐ、とか、リアクションはさまざまでした。

私はというと、本当に残念に思いながらも致し方なしか、という意見。

実は高校時代、野球部の女子マネジャーということをしておりました。弱小野球部のお飾りさんです。飾れたかは知らないけど。それでも熱心に部活に通い、一丁前に甲子園の土を部員と共に踏むことを夢見ていました。

それでも、中止の決断はやむを得ないと思いました。甲子園やコンクールなどが彼らのこれからの人生をも左右するものだとわかってはいても。

そんな中での特例措置。ふくざつ。大人の感傷からではなく意味あるものになればいいなと思います。

私がどうして高校の野球部のマネジャーなんぞやっていたかと言えば、シンプルに言うと兄二人が同じ野球部の部員だった影響です。

じゃあ、なんで兄貴二人が野球部だったかっていうと、父が無類の野球好きだったから。父自身は学生時代に野球選手ではなかったのですが、会社員時代に草野球はしていた模様。

昭和10年代生まれの父は、その世代の大半がそうであるように、筋金入りの巨人ファン。関西育ちにも関わらず王道を好むタイプでカッコつけだった父にとって「紳士たれ」の読売ジャイアンツは自分の選ぶべき球団だったのかと思います。

私はまだ小さかったから目撃はしていないけど「わが巨人軍は永久に不滅です」という昭和最大のキャッチコピー(怒られろ)で有名な長嶋茂雄さんの引退試合に涙していたともいわれる父です。

大体そういう父親がいる家庭のセオリーとして息子らは野球ファンになる。兄たちはまんまと少年野球をはじめ、プロ野球にも夢中になっていきました。当時家族で暮らしていたところから父の実家に向かう車では必ずラジオで野球を聞く。テレビのゴールデンタイムは絶対にナイター。ナイトゲームじゃないですよ、ナイター。

家族の一体感すごい。

ただ、息子たちがプロ野球好きになってくれたのは狙い通りだった父ですが、大きな誤算がありました。当時一家で暮らしていたのは中部地方。青いチームの本拠地付近です。少年野球を始めた長兄からハマり、次兄もそれに倣い、ごりっごりにブルーのチーム(中日ドラゴンズ)を愛する男になりました。

プロ野球を多少なりとも知るひとならお分かりでしょうが、オレンジのチームとブルーのチームの熱狂的ファンが一つ屋根の下に同居しているというのは恐ろしい地獄絵図を繰り広げることになります。特に兄はアンチ巨人としてもすくすく育っていたので父が愛してやまないチームを仇のように罵る。間に挟まれた母は呆れるばかり。

幼い時からそんな父と兄たちを見て育った私は小学生のころ、プロ野球を心から憎んでいました。大嫌いでした。野球をやるやつも見るやつもみんなおろかな人たちだと思っていました。私の見たいテレビも見られず、父は巨人が負けると機嫌が悪い。兄は中日が負けると機嫌が悪い。なんだこれは。

そう、巨人が負けると父は、たいそう機嫌が悪かった。

お酒を飲まない、あまり人を口汚く罵りもしない父は、当然相手チームや選手をひどく罵ることもあまりなくただ「超」がつくほどのネガティブファンでした。

完璧なワンサイドゲームで巨人が勝っていても、「いやこのピッチャーは球数が増えだすとバテるからまだわからん」とか、「今日は江川が解説だから負ける」とか、自分なりの過去データ(?)を駆使しては良くない結果をはじき出すひとでした。

若いころからそんな調子で、一体何が嬉しくて見てるんだろう、と思うのが私は子供の頃からの疑問でした。勝っていても負けを想像し、ホントに負けると胃をこわし、自軍の選手の出来を心から褒めない。どんなストレスフルな趣味なんだ。意味がわからん。


ところがその後、私も兄と同じチームの熱狂的なファンになってしまった。


なんでそうなったかといえば、兄二人が大学入学と共に実家をでて、野球観戦のお供がいなくなったから。父は唯一の娘である私の距離感を測りかねていたらしく、野球とか相撲とか、自分が楽しみにしてるものを共有できる息子たちがいなくなって物足りなさそうだった(と私には思えた)のです。

兄たちには共有するのに、自分には期待されていないことがとても悔しかったので、それから父と一緒に野球を見るようになりました。

それまで大キライだーと言っていたプロ野球でしたが、えらいもので毎日好き嫌いにかかわらずずっと茶の間に流れたいたのを聞いていたからか、どの選手がどういう選手か、このピッチャーにどういう傾向があるかは自然と分かっていました。

「門前の小僧習わぬ経をよむ」とはよく言ったもんだ。

(実際私は寺の子だ。)

なんやかんやで一緒に見ていて、試合中に私が言うことが徐々に父としても的を得ていることになっていったせいか、父は私に自分の関心を共有してくれるようになりました。敵チームのファンになったのは計算外でそれは苦い顔をしていたけど。

プロ野球に限らず、相撲も一緒に見るようになり、幕下力士まで語れるようになった私を夏休みに帰省した兄たちはかなり驚き、妹の可愛くない成長にうろたえていました。シーズンオフにはドラフトや来シーズンの展望を話し、父と娘の時間も充実したものになりました。


今ならわかる。


大好きなチームがどんなにリードしていても試合終了まで勝ったと思えないこと。解説者が気に入らないだけでイラつくこと。トイレに行ったばかりに逆転されたと自分を責めてしまうこと。選手の引退の時に今までのことがこみあげて涙が止まらないこと。

違うのはチームだけ。

ネガティブファンの血は、オレンジ色かブルーかだけで脈々と引き継がれていました(もちろん兄たちにも)。

チームがというよりはプロ野球自体が、父が愛したころのように日本中の注目を浴びるスポーツではなくなってます。それはほかにも魅力的なスポーツが増えたことでもあるから、決して悪くはないけど、やっぱり父にとっても私にとっても、ナンバーワンはプロ野球。

長く一つのチームを応援していると、全盛期と低迷期どちらも経験するようになり、やるせなさや苦しみもたくさん味わうけれど、それでもそのユニフォームを着た選手が躍動するのを見ると、同じように心を躍らせずにはいられない。プロ野球だけじゃないか。

応援しているし、だから頑張れ、と思うけど、選手たちがこれだけ頑張っているのだから、自分だって頑張るのだと思う気持ち。きっと父もそんな風に感じて、歯ぎしりしたり飛び上がったりしていたんでしょう。

父はもうすでに数年前に他界し、今となっては私がそうなっていったことを父自身がどう思っていたのかは聞けないのだけど、そんな風に父と娘で分け合える感情をもったことは遺伝子以上、と思っています。

毎年の父の日とか、父の誕生日とか、命日とか、思い出すメモリアルデーはあるにはあるけど、年中兄たちと私はプロ野球を介して父を思い、尋ね、呆れ、笑うのです。


今年のこんなありさまを、父さんはどう思っているのだろう。

色んな問題全部置いといて、「なあ、いつになったら開幕するんやろな。早く開幕せえへんかな」と少しイライラしているかもしれない。ようやく開幕の日が決まってスタメン予想に余念がないかも知れない。


初めて、父を東京ドームに連れて行った時のことが今でも忘れられない。

開場と同時に観客席に入りたい、と待ちきれない様子の父は、座席に荷物を置いて「おい、いいかちょっと。」と私にその荷物を預け、そわそわとバックネットそばまで降りて行きました。

練習を始めるジャイアンツの選手たちを、本当に、本当にワクワクした目で、ネットに指をかけていつまでも見ていました。


さぁ、もうすぐ始まるプロ野球、原監督も準備は「とっくにできてるぜー」らしいから(ちっ)楽しみに待つとしましょう!




#応援したいスポーツ

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