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村弘氏穂の日経下段 #25 (2017.9.16)


白昼夢を見ていたようだ真昼間のドトールに漂う死の香りかな 

(東京 上坂あゆ美) 

 この真昼間の妄想は、例えばブラジルで踊っているような陽気なものではないだろう。コロンビアでマフィアに浚われたとか、エチオピアでエリトリアとの国境紛争に巻き込まれたとか、そのような酷い出来事が浮かんでくる。ドトールの店内において焙煎される南米や東阿のコーヒー豆の香りに勝る死の香りを漂わせる白昼夢には、きっとそれくらいのシチュエーションが必要だろう。不穏な非現実と不運な現実の間には、小さすぎるテーブルと座り心地の悪い椅子。まさに「ドトール」がぴったりと収まるショートストーリーだ。作者が四句目を字余りにしてまで「ドトール」に拘った意図もそこにあるのだろう。仮に「カフェ」なら定型に収まるのだが、怒涛にも似た「ドトール」の音感が打ち寄せる波のように死臭を漂わせているかのようだ。末尾の詠嘆の「かな」は非現実世界の戦慄をほのかに醸し出している。



見えるよと聞きつけ外に出たものの見えない 虹の真下なのかな 

(東京 椛沢知世)

 「見えるよ」と教えてくれたひとは、きっと近くにはいないのだろう。自分の真上の虹を見つけると願い事が叶うという迷信があるが、虹を直下で見ることは不可能だ。太陽光の屈折の角度と反射の条件が一致しないと、虹は可視状態にならないからゼロ度では見ることはできない。仮に虹のようなものが見えたとしても、それは環天頂アークだろう。まあ迷信が迷信たる所以でもあるのだが、残念ながら願い事は叶わないということになる。たとえ親しい者同士でも見据える角度が違うと、見えたり見えなかったりする事象も世の中には多々あるのだ。下の句のまるで異空間にひとりだけ取り残されてしまったかのような一字あけも効果的で、末尾の疑問形の「かな」は現実世界の不条理を七色に照らし出している。


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