ハードレンズimage

村弘氏穂の日経下段 #12(2017.6.17)

右左つくった国が異なって未来の見えぬコンタクトレンズ

(つくば 須田 覚)


 素材がコンタクトなのに隔たりを浮かび上がらせる技巧が面白い。ネットショップで購入した左右の度数が違うレンズなら、ロットも違えば生産国が違うこともある。徹底したコストダウンのためにセレクトする生産工場や流通ルートは時期によって多様だ。しかし、左右それぞれの眼にそれぞれの国のレンズを装着したところで、度数さえ合っていれば何の問題もない。そう、現段階では何も困っていないはずだ。見えなくなるのは元から目には見えない「未来」なのだから。せいぜい今そこにあるのはアフターサービスや保証に関しての「不安」くらいだろう。ただし、右のレンズをつくった国と左のレンズをつくった国が対立的な関係にあって、今まさに争っている可能性ならばある。そうならばきっと涙が止まらなくなる。作者の不安は不安定な世界情勢を示唆しているのかもしれない。




左から右へ流れてゆく時間 再生ボタンはみな右を向く

(東京 本多 真弓)

 ボタンと呼ぶにはあまりにも凸部が薄くなり、高低差どころか平坦に変わりつつある現代の再生ボタンをクローズアップして、そこに自分史、延いては世界史を凝縮している。多くのひとは無意識のうちに、左には過去を辿る思考のイメージを抱き、右には未来を創る思考のイメージを抱いている。左から右へ字を書く現代人は特にそうだろう。カレンダーも左から右へ時間が流れていくし、時計の針も左からの右回りだ。数学で時間軸を表現するグラフも左から右で、まさに結句の云う通り。だけど、その結句の「みな右を向く」からは変哲もない未来を予感させる。そして右へ倣えの社会からの脱却をはかって、右向きの三角形のマークを二つ並べてスキップしたりする空気感がひっそりとあるのだ。この作品の一字空けには、立ち止まって考える時間があり、結句のあとの余韻にて十人並みの未来を再生しない意思へと繋がっているようだ。

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