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村弘氏穂の日経下段 #18(2017.7.29)

美しき若葉道だけ眼に在らば忘れても良し私の事は

(長野 若尾途志)

 自己へと宛てた教示だろうか、他者へと宛てた訓示だろうか。いずれであっても瑞々しい若葉道は、初々しい頃の人生とコネクトしている。自然界のものとの比較対象が、自身であるあたりには崇高な自意識が芽生えている。朔太郎の詩に「輪廻と樹木」っていう作品があったけど、榛の若葉は鬼のように輪廻して、一方「私」は樹木へと転生するつもりだから、忘れても構わないのかもしれない。ところで、作者名がこの一首を漢詩化しているのは、果たして偶然なのだろうか。



侍は何を食べたか知りたくて図鑑を見ては少し笑えり

(むつ 中田瑞穂)

 侍の食生活は質素で、その献立は現代でいうところの健康食だと思う。その程度なら調べるまでもなく時代劇を観たり、時代小説を読んだことがあればわかることであろう。その詳細を知りたくなった理由は察知できないが、あえて調べてみたところで、武士の食事に関して笑える要素なんてきっと少ないはずだ。たぶん図鑑を見ている自分を俯瞰で見ているもう一人の自己が、自分自身の行為の無為性に微笑してしまったのだろう。


あたらしい犬を迎えてうつくしい鉄道路線の名前をつけた

(東京 市岡和恵)

 小動物と人工物を結びつける発想がユニークで構成も繊細で巧みな作品。「あたらしい」と「うつくしい」は、犬と鉄道路線のどちらにも掛かり得て相乗効果をもたらしている。「あたらしい犬」には、おのずと以前の犬を想起させ、うつくしい記憶までも呼び起こす力が宿っている。まるで美しい鉄道路線の車窓風景を眺めるかのように。犬と鉄道との思い掛けない出会いによって、掛けがえのない詩が生まれた。

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