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村弘氏穂の日経下段 #26 (2017.9.23)

ザクザクと伸びた前髪切りすぎて生きてる証探ってゆく日々

 (東京 野原 豆) 

 前髪を切りすぎたという私的生活の一大事を詠っていながらも、歌の全体像からはどことなく前向きな姿勢が見受けられる。そこに奇妙で瑞々しい面白さがある作品だ。その要因の一つは初句の「ザクザク」というオノマトペだろう。そこには、うっかり切りすぎたというよりは、むしろ潔く思い切った感が溢れている。おそらくそれが、切ってしまったもんは仕方ない、なんとかしてごまかすよりも斬新で大胆なヘアスタイルにチャレンジしてやろう感をも引き出しているのだ。もしかしたら前髪が短いほうが、世界に転がっている生きてる証を探しやすいのかもしれない。たとえうつむいて生きてゆく中で、生きる証が見つからなかったとしても、その髪が伸びることだって、生きている確かな証のひとつなのだから。 

出産に半年をかけわたくしの普通預金が一円を産む 

 (東京 本多真弓)

 「半年をかけわたくしの普通預金が一円」という絶望的な現実を孕んでいるのは、初句と結句の二つの「産」という文字である。その作品構成の妙によって、現代社会で尊大な産物を得るためには大きな痛みがともなうことを露呈させている。定期預金でも積立預金でもなく普通預金であることも注目すべきポイントだ。「普通」は前後の句に関わって社会に訴えている。「わたくし」が普通に生きて普通に働いて普通に貯金をして普通の服を着て普通の桃を食べて普通の菓子をつまんでいた半年で得られる普通預金の金利は0.0005%しかないのだ。それこそがこの作品の骨子だろう。利息の息は息子の意であるし、語源こそ違えど利子にも子の字が入っている。子を出産するということは、喜びと同時に普通ではない痛みの象徴でもあるのだ。

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