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「すみません」と「ありがとう」

たとえば狭い場所ですれ違うとき、道を譲ってくれる人がいたら。
ものを落とした時に拾ってくれた人がいたら。

あなたはその人に、なんと声をかけますか?


私は昔、誰かから小さな親切をいただいたとき、「すみません」と声をかけていた。その声かけの裏には「私なんかのために、お手を煩わせてしまってすみません」という気持ちがあった。

高校を卒業し社会に出てから「中嶋さんはいつも謝ってるね」と言われてドキリとした。別に悪いことをしたわけじゃないんだから、「すみません」じゃなくて「ありがとう」じゃない?と。

人に言われて初めて気が付いた。
「すみません」は小さい頃からずっとそばで聞いていた母の口癖だった。母は人に何かをしてもらったとき「すみません」と謝る人だった。いつも回りの人の目を、世間体を気にして、「人に迷惑をかけてはいけない」と何度も教えられた。(人に迷惑をかけてはいけない、という考えについても、今は違う意見をもっているが、それはまた別の機会に)

私は自己肯定感の低さも相まって、母の「すみません」という口癖をしっかりと受け継いでしまっていた。言われる方も、謝られるよりお礼を言われた方が気持ちが良いよね。意識的に「ありがとう」を使うように心がけているけれど、いまだに時々「ありがとう」の場面で「すみません」を言ってしまう。そういうときは「すみません、ありがとうございます」とお礼の言葉もくっつける。子どもの頃に染み付いたものってなかなか消えない。

母が認知症になり、介護をしていたとき。
私が娘だということはもう忘れてしまっていて、母は家にいてもずっとよそよそしい態度だった。私が何かをすると「すみません」「申し訳ない」と謝って、私はその言葉を聞くたびにモヤモヤしていた。私に教えてくれた人も、きっとこんな気持ちだったんだなぁって。

そして、もっと認知症が進み、もうほとんど会話が成立しなくなった頃、母は何かしてもらうたびに「ありがとう」と笑顔で返すようになった。認知症になると、新しい記憶から消えていくらしい。私の勝手な想像だけれど、「すみません」は、父に抑圧されていたときに母に染み付いてしまった言葉で、母が子どもの頃に使っていた言葉は「ありがとう」だったんじゃないかなって。そうだったらいいな。

家族ってずっと一緒にいるからか、言葉が似てくる。
もちろん外で吸収する言葉もあるけれど、親子の間の言葉遣いや思想って、知らず知らずのうちに子どもに受け継がれていく。

レジで会計をしたあと店員さんに「ありがとうございます」と言っていたら、いつの間にか子どもたちもそう言うようになっていた。
家でも「ありがとう」の言葉はちょっとした瞬間、みんなから聞こえてくる。「ありがとう」だったり「どもども」だったり「あじゃじゃす!」だったりするけれど。
優しい子に育ってくれてありがとう。

……少し話がそれるけれど、長男は、挨拶の言葉にグレードのようなものがあるのか、「おはよう」のような軽めの声掛けは省略することが多い。そして「いってきます」は言わずに出ていく。私は逆にそういうやりとりをしないと落ち着かないので、長男が出ていく「バタン」という音を合図に、玄関に向かって「いってらっしゃーい」と声をかける。たぶん聞こえてないだろうけど。
(たまたま何かの拍子で出ていく瞬間に居合わせると「いってきます」と言ってくれる。長男の部屋とリビングの間に玄関があるから、いちいちリビングに来るのがめんどくさいという理由もあるかも?)
逆に次男はそういう挨拶の言葉をきちんと言う派。
同じように育てているつもりでも、こういうところは個性がでるのかな。

今は穏やかな長男と次男にも、立派な反抗期があって。
その頃はお互いに言葉も態度も荒れてしまったな……。

普段何気なく使う言葉は、想像以上に自分にも周りにも影響を与える。外に出れば辛い言葉を浴びることもあるだろうから、せめて家の中は、優しく温かい言葉で満たしていきたい。

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