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別居婚という選択肢

とても良い記事。
でも読んでほしい人にはきっと届かない。

お義父さん、60歳で亡くなっているんです。そのときお義母さんは50歳。それぐらいで死に別れると、美しい思い出のままでいられるんじゃないんでしょうか。残酷な言い方ですけど、この頃、本当にそう思うんです。

定年退職する前の夫とは、美しい思い出というものがあった。
しかし今は、その美しい思い出は色褪せ、美しさの裏に隠れた夫の本心と、自分の愚かさばかり気づくようになった。気づかないままでいれた方が幸せだったのかもしれない。

ところが子どもたちが巣立ち、姑も見送って、何十年かぶりに夫婦2人で向かいあってみると、「はて、このオッサン、誰やったかな?」と思う瞬間が来るものです。

上沼さんは、子どもたちが巣立ってから気づいたようですが、私はまだ子どもたちが自立する前に気づいてしまった。

それで思い出したんが、以前、主人と2人で「天橋立」に行ったんですよ。あそこに展望台まで運んでくれる1人乗りの長いリフトがあって、夫が前に乗って、私がひとつ後ろに乗ったんですね。10分ぐらいで着いて、いざ降りようとしたら、イスの窪みにはまって、よう降りられないんです。

(中略)

 自分だけスタスタ歩いていって、もうその背中がちっちゃいんです。ワーッと追いかけて、「私リフト降りられへんかってん。えらいことやったで!」と言っても、汚いものをみるような目つきで見るばかり……。

 このとき思いましたね。「あ、この人は助けてくれないんだ、もう私は1人で生きていこう」って。

「自分だけスタスタ歩いて」いっちゃうの、何度もあるあるすぎて。
振り向かないよね。あっという間に背中が小さくなるの、とてもわかる。

夫婦関係も、病気療養中の子どもたちのことも、夫がどう思っているのかわからなくて、このままじゃいけないと思って、きちんと話し合おうとしたら拒絶された。
ストレスを押し付けるなって。
そうか、夫には私も子どもたちのことも、もうストレスにしか感じないんだ。
夫の「自分のしたいことだけして生きていく」という宣言は、そういうことなんだ。

家事もしなければ、病気療養中の子たち(とくに次男)の心配もしないで、ずっと一日パソコンに向かって趣味の何かをして、Youtube見て笑って、時々散歩して、図書館に行って読書して、趣味の山登りに行って、自由を謳歌している。
そもそも次男に関しては、どうしてこうなっちゃったのか忘れてしまったんだろうか。忘れたとは言わせない。僕には関係ないとも言わせない。
退職後の人生を楽しむのはいいけど、子どもたちが自立するまでは、親としての責任をきちんと果たしてほしい。

上沼さんのように、別居婚ができたらどんなにいいだろうと思う。
けれど、子どもたちにできるだけお金を残したいと思っているので、貯蓄は温存したい。
夫はもう働く気はないと言っているし、私は一度、家事育児ワンオペ&フルタイムで働いて体を壊した経験があるので、家のことと家族の面倒を見ながら外で働く元気はもう残ってなくて。少しだけど家にいながら収入になることを細々と頑張っている。
本当は夫の面倒なんてみたくないけど、子どもたちにご飯を作ったり環境を整えているところに夫がいるだけだ。夫のためにしているのではない。子どものためにしているのだ。

世の男性の皆さんは、妻に「ありがとう」を言うてますか、という話なんです。たった5文字なんですけど、これを言えない男が本当に多いんです。あるいは妻が具合悪そうなときに「大丈夫か?」と声をかけてますか。男の人はすぐ「医者いけ」と言うんですけど、その前にかけるべき言葉があると思うんです。

夫はめったに言わないのに、夫がほんの少し家事を手伝ってくれただけで私ばかりが「ありがとう」と言っていることが悲しくなって、最近は私も「ありがとう」を積極的に言わなくなった。
私のことを大切に思ってくれない人を大切にする必要はない。

別に多くを望んでいたわけではない。
ただ、ほんの少しの思いやりが欲しかったのだ。
それがふとしたときの「ありがとう」みたいな言葉なのだ。
大切に思ってもらえていると感じたかったのだ。

ちなみに子どもたちはたくさん「ありがとう」を言ってくれる。
優しい子に育ってくれてありがとう。

これまで夫が具合悪そうにしていたら必死に看病したけれど、逆なんてなかった。(新婚の頃はあったけど)
夫が私にポカリ持ってきてくれたり、ご飯作ってくれたことなんてなかった。

次男が辛そうにしていても様子もみようとしない。一度、私だけではどうしていいかわからなくてしんどそうな次男を見続けているのが辛くて「(次男が苦しそう)どうしよう」と夫に助けを求めたら「救急車呼べ!」と一言。そんなときもパソコンの画面から視線を外さず。次男の様子なんて見ようともせず。

私が好きになった人って誰だったっけ。
たしか、とても優しくて。一緒にいると楽しくて。
そんな人と結婚したはずだった。

まさに上沼さんがおっしゃった「はて、このオッサン、誰やったかな?」の心境。
なんでこんなオッサンと暮らして、毎日せっせとお世話してるんだろう私。

別居も離婚も、今は選択肢の中にないので、毎日すぐ近くに夫はいるけれど、心の距離は遠くしています。
子どもたちが自立したら、距離をおきたい。
とくに次男が、日常生活を送れるようになるまでは、心を凪にして、子どもたちの幸せに全振りして頑張ります。

冒頭に載せたこちらの記事、とても長いですが、言いたいこと全て言ってくださった上沼恵美子さんに感謝です。
夫に読んでほしいけれど、絶対に読まないだろうし、こういった記事にたどり着くこともないだろうし、自分には関係ないとまで思いそうです。
遺言に、「夫とだけは墓を別にしてください」と書こうと思っています。


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