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優しさと自己犠牲

私の母は、美味しいものを、自分の分まで子どもに分け与える人だった。

ショートケーキを食べるとき、母は自分の分のイチゴをそっと私のケーキにのせた。

私が喜ぶと、母も嬉しそうに微笑んだ。

そんな環境で育ったからか、自然と私も、夫や子どもに同じことをするようになった。

スイカを切ったあと、自分は端っこの甘みが少ない部分を食べ、美味しいところを家族に出す。

人数に対して、少し少ないかな、と思う食べ物。たとえば巨峰とか、シャインマスカットみたいな。果物は高いので、たくさんは買えない。
そういう食べ物は、私は少しだけ食べてあとは様子を見守る。
残ればそれを食べるけど、大抵残らない。
みんながたくさん食べれるように、自分はいつも少し遠慮する。

買い物をするときも、自分が好きな食べ物よりも、夫や子どもたちが好きな食べ物をいつも思い浮かべて買っていた。

夫が、子どもたちが、美味しそうに食べて、嬉しそうにしているところを見ると、とても幸せな気持ちになった。
だから、私にとってこういった行動は苦ではない。むしろ幸せを感じていた。

親の行動は子どもにも連鎖するのか、次男が私のこの行動を受け継いでしまった。
次男は自分が大好きな食べ物であっても、残りが一つになると必ず

「もうみんな食べない?」

と確認してからでないと食べない。
私と同じように、好きなものであっても、みんなが食べることを優先しているフシがある。
さらに「お母さん、もっと食べなよ」と言ってくれることもある。
「お母さんもう、お腹いっぱいだから食べていいよ」というと安心して食べる。

次男はとても優しい。

優しすぎるから、私から見て、時々損をしているなぁと感じることがある。

もしかしたら私と同じように、大好きな人に美味しいものを食べてもらいたいという思いがあるのかもしれないけれど、私は次男を見ていて気付かされた。

これは、自己犠牲なのではないか、と。

私は次男に「遠慮しないで好きなだけ食べていいんだよ」と言うようにしている。
その上で「これ、お兄ちゃん食べたかな」と毎回自分の好きなおやつを食べるときに、兄のことを気にする次男の優しさも大切にしながら、次男の自己犠牲にならないように注意していきたいと思っている。

最近の私は、自分にも少し優しくできるようになってきた。
たまには自分の好きなものを買おう。
自分だけのために、自分だけのおやつを買おう。
そういうところも次男に見てもらいたい。

先日、長男が外出した帰りにドーナツを買ってきてくれた。
長男が家族にお土産を買ってくるなんてことは本当に珍しくて、びっくりして、嬉しくて、めちゃくちゃはしゃいだ。そんな私の姿を見て、長男もとても嬉しそうにしていた。

ドーナツを家族みんなで食べながら「美味しいね! ありがとう」と長男にお礼を言っていたら、夫が

「人に買ってきてもらったものって、なんでこんなに美味しいんだろうね!」

と言った。

その通りなのだけれど。

私はいつも買い物で同じことをしていた。
夫と結婚してからずっと。

でもそれは夫にとって「当たり前の出来事」で「特別」なことではないのだ。

夫が買い物するときは自分の好きなおやつしか買ってこない。
定年退職後、散歩が趣味となった夫に「散歩の途中で美味しそうなお店を見つけたら、お土産買ってきてくれてもいいんだよ」と何度か言ったことがあるけれど、一度もそんなことはなかった。
私が好きな洋菓子系は買ってこない。
自分が贔屓にしているお店の、好きな和菓子は買ってくる。
夫は自分で自分の好きなものを買ってくるのだから、買い物で夫の好きなものを買うのはやめようと思った。
その代わり、自分の好きなものを買うことにする。……まだ自分だけのために買うってことがうまくできないのだけれど(なぜか心のストッパーが働く)、少しずつ買えるようになりたい。

別に見返りを求めているわけではなかったし、美味しそうに食べる皆の顔を見ることに幸せを感じるのは今も変わらない。
だからこれからも子どもたちが好きなものは買うけれど、ただ、今、私の心に確実に変化が起きている。

夫から大切にされていないことに気づいてしまってからは、これまで自分を犠牲にして、家事も子育ても頑張り、必死に尽くしてきた過去の自分がかわいそうになった。
でも私の自己犠牲は、子どものころから自己肯定感がめちゃめちゃ低かった私が、人の役に立つことで自分を肯定するために、自分を守るために身に着けた手段であり、人に嫌われたくないという思いから来ているものだった。
過去の自分と向き合うようになってから、ようやく気づいたことだった。

優しさと自己犠牲の境界は、自分が幸せに感じるか、ストレスに感じるか、なのだと思う。
夫に関してはストレスに感じるようになってしまったので、もう自分を犠牲にしてまで夫に尽くそうとは思わない。

子どもたちは、私に優しい言葉をかけてくれる。
これからの私は、私を大切にしてくれる人にだけ、優しくしようと思う。
私が大切にしたいと思う人にだけ、優しくしようと思う。

そして、毎日頑張っている自分にも、優しくしようと思っている。
それはまだ、うまくできないのだけれど。
少しずつ自分のことも、癒やしていきたい。

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