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孤独の後に会いましょう

”私は税理士試験が近づいてくると、「暗黒の5年間」を思い返します。上京してからTACの講師になるまでは、友達や彼女との輝かしい青春の1ページはなく、時間を見つけてはひとり、読書や勉強に明け暮れていました。今となっては愛おしい暗黒時代です。

読書や勉強というものは、いかに掘り下げるかにかかっているため、孤独によってしか生産性は上がりません。その孤独を味わった者同士が、結果を出した後に出会うのが本物だと思います。

今、あなたが孤独なのは正しい。孤独とともに、今年の夏を胸に刻みましょう。あなたの合格を祈っています。”

2015年の夏、私は孤独だった。高校生でもない大学生でもない18歳の私は、夏期講習が15時に終わると駿台御茶ノ水3号館を出て、うだるような暑さのなか神保町へ向かう坂を降り、三省堂書店へ向かった。

三省堂神保町店の6階は日本一参考書がある場所だった。山積みされた赤本は日本全国の大学を網羅し、数学・物理・化学の高度な問題を扱ったマニアックな参考書から半世紀に渡って愛読される英文法の参考書まで、全てが揃っている。灰色な浪人生活を走っている私にとって、鮮やかな背表紙を纏った参考書が所狭しと並べらた三省堂神保町店の6階は、唯一の楽園だった。勉強に疲れては御茶ノ水から汗だくになりながら神保町まで降り、面白そうな参考書を流し読みしては賢くなった気でいた。

しかし、心のどこかで分かっていた。参考書を立ち読みしたところで、自分の学力は少しも上がらないことを。ここに来ることは息抜きでもなんでもない、ただの現実逃避だ。本来なら今すぐにでも家に帰り、使い慣れた予備校のテキストを隅々まで理解できるよう、机に齧り付くべきなのだ。

18歳の私は精神的に未熟だった。孤独に耐えられず、束の間の休息を三省堂の参考書コーナーに求めていた。でもそれは誤りだった。その時間を、一分一秒を惜しんで勉強に充てるべきだった。

人間の成長は未熟な過去に打ち勝つことである。ある日を境に私は三省堂には行かなくなった。代わりに地元の図書館に篭るようになった。私はひとりで勉強をした。ずっと、ずっと。

やがて夏が過ぎ、秋が来て、冬になった。私は季節の移り変わりを、図書館から自転車に乗り、家まで向かう夕暮れ時に感じる風の冷たさで知った。

孤独だった。話す相手もいなければ、話しかけてくれる相手もいない。しかし今まで点で理解していた数学や物理が、じっくりと式を理解することによって、点と点が互いに結びつき始めている感覚があった。

結局私は第一志望には合格できなかった。研究者の道を歩んだわけでもない。私のいう「理解」はそこまでの深さを持たなかった。しかし、机と自分と向き合い、雑音を締め出し、孤独に思索に耽ったあの時間は、精神的に私を成長させた。もし友人と一緒に机を囲んで勉強していたら、あそこまでの成長はなかったように思える。

孤独が自分の精神を成長させたという感覚はその後も大いに役に立った。大学に入ってからも意図的にひとりの時間を作るようにした。通学時間、授業の合間、早く起きた朝、寝る前。読んでみたかった小説を片っ端から読んだ。100円のおにぎりをコンビニで買うくらいなら、ブックオフで100円の中古本を買った。友達がいなかったわけじゃない。誰かと遊ばなかったわけじゃない。

孤独が、孤独だけが自分に精神的な豊かさを与えてくれると分かっていたから、私は必要に応じて自分の殻に閉じこもった。私が書いているこの文章も、孤独の中で真摯に向き合った数多の読書によって成り立っているのは言うまでもない。意識高い系中島という存在は、私の孤独な時間から生まれたのだ。

冒頭で紹介した坂根さんの言葉を読んで、そんなことを思い出した。

”読書や勉強というものは、いかに掘り下げるかにかかっているため、孤独によってしか生産性は上がりません。その孤独を味わった者同士が、結果を出した後に出会うのが本物だと思います。”

自分の精神世界を豊かにし、一段二段と高い次元に飛躍させるには、孤独が必要なのである。孤独を味わって、結果を出したもの同士にしか分からない世界がある。もしあなたが今、孤独と闘っているのなら、それは自身の成長に必要な孤独なのだ。

孤独の後に会いましょう。

ひとりの時間を経た先に、本当の価値ある出会いが待っている。



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