見出し画像

服を買うということ、髪を切るということ、変数を減らすということ。

「広い世界のものには関心が持ちにくく、狭い世界のものには関心が持ちやすい」

多変数複素関数論の研究で人間離れした業績を残した数学者・岡潔は生前にこんな言葉を残していた。数学者でありながら「情緒」を重んじたことで有名な岡潔は、「数学の営みは”おのれの情緒を外部に表出する学問芸術”であり”情緒を表現して数学を創造する”ことだ」と語っている。彼の残した随筆も非常に情緒を感じさせる名文だ。

岡潔 (1901-1978)

理系でありながら数学が苦手な僕は多変数複素関数論の説明を読んでもさっぱり意味が分からない。が、曲がりなりにも数学を10年以上やってきた身として学んだことがある。それは問題を解く際に変数を減らすという工夫は、多くの場合で役に立つということだ。

非常にシンプルな以下の連立方程式を解いてみよう。

解き方を覚えている人なら、xの係数を4と3の最小公倍数である12に揃えることを考え、一番目の式に3を、二番目の式に4をかけ、式同士を引くはずだ。すると19y=-95となる。両辺を19で割って、y=-5と求まる。あとは好きな方の式にy=-5を代入して計算すればx=-6と求まるわけだ。

中学校の数学を覚えていればこれくらい造作もなく解けるが、ここで一連の流れを振り返ってみよう。xとyという2つの変数のうち、一方をまず確定させることで計算を簡素にしたことが分かる。つまり変数を2つから1つに減らすことで、解を求める手間を減らしたわけだ。

この「変数を減らす」という工夫は他の高度な問題でも多くの場合で役に立つ。数学のみならず、物理や化学でもそうだ。要するに数字を扱う問題では登場する変数をできるだけ減らすことで、答えにたどり着くまでの道のりが簡単になる。

話がそれたが、僕は最近、この「変数を減らす」というエッセンスを日常生活に当てはめて考えている。そして煩雑な情報が溢れる今の社会において、変数を減らす工夫は快適に生きるのに多いに役に立つことを実感している。

例えば僕にとって「服を買う」という行為は、減らすべき変数だ。なぜなら僕は服にこだわりがなく、丈夫でシンプルで快適に動けるものなら何でもいいと考えているからだ。だから自分で買う服はユニクロのみ。同じ種類で色違いの服を複数持っていて、日替わりで着ている。仮に服にこだわってしまうと、季節が変わるごとに好きなブランドの新作をチェックし、わざわざ表参道まで行って何着も試着し時間をかけて買う服を選ぶなど、労力がかかる。おまけにお金も飛んでいく。買ったら買ったで「今日は何を着ようか」と毎日鏡の前で頭を悩ますことになるだろう。僕はこの過程に労力を割くくらいだったら、時間とお金を他のことに回したいと思ってしまう。

同じ服しか着ない僕に呆れた友人に、「もっと服にこだわれ」と原宿の古着屋を案内されたことがあった。しかし全く心が踊らなかった。古着と聞いていたからブランドものの服が1000円くらいで買えるものだと思っていたら、何の変哲もない白いシャツが1着3万円もしたりした。「触ってみろ。お前のユニクロと生地が全然違うんだよ。」と説明されたが、何が違うのかよく分からなかった。3万円も払ったらこれとほぼ同じユニクロの白いシャツが20枚は買えるなと思ってしまい、結局何も買わずに帰ったのを覚えている。

「髪を切る」という行為も、僕にとっては同じく減らすべき変数だ。僕は高校時代、自分で髪を切っていた。実家にある散髪用のハサミで、風呂場で素っ裸になって鏡を見ながらチョキチョキ切っていた。お金がなかったわけじゃない。何回か地元の床屋で切ってもらったのだが、高校生にとって大金の2000円を払う割りに、この髪型良いなと思ったことがなかった。だったら家で無料で自分の好きなように切った方が合理的だと思ったのだ。たまに失敗してちぐはぐな髪型になることもあったが、幸い男子校だったため恥をかくことはなかった。

ただ大学生になったとき、さすがに自分で髪を切るのはみっともないと考えた。キャンパスにいる華やかな人たちは皆、渋谷とか表参道のイケてる美容院で髪を切っていた。憧れたわけではないが、一応大学生にもなったしバイトもしているし、それ相応のお金を払って髪を切るのがマナーってものかも知れないと思った。そこで僕は渋谷のお洒落な美容院を予約し、カット7000円という当時の僕にはかなり勇気のいる料金を払って髪を切った。しかし感想は「うーん」だった。確かに切った直後はセットもしてもらっていい感じなのだが、家に帰って風呂に入れば元に戻るわけだ。髪が短くなっただけで、劇的な違いは見られない。もちろん僕の元々の顔が悪くて改善のしようがないだけかもしれないが、7000円払う価値があるとは思えなかった。なので以後は近所で一番安い美容院で2500円でカットしてもらっている。髪型にこだわりもないのでいつも同じ写真を見せている。これも同じく「変数を減らす」ことに他ならない。僕にとっては毎回美容院を選んだり流行りの髪型に合わせることは価値を感じない行為で、減らした方が得なのだ。

勘違いされそうなので補足しておくが、「高い服も美容院も無駄。全人類ユニクロを着て安い床屋で髪を切れ」と言いたいわけじゃない。あくまで僕にとっては余計な変数なだけで、どの変数が必要なのかは人によって変わる。僕は旅行や美味しいご飯が好きだから、行く際にはよく調べる。旅行は興味ないし食事はカップ麺でいいという人にとって、この行為は余計な変数でしかない。しかし僕にとってはこの変数は人生を楽しむ上で必須の変数だから、そこは譲れない。みんなそれぞれ違った変数を大切にしているし、尊いことだと思う。

つまり、僕が提案したいのは「日頃の生活に登場する変数を減らせば、だいぶ快適に生きられる」ということだ。こんな式があったとする。

a〜gの7つの解を求めるには、たくさんの式が必要になる。それぞれの式から一つずつ変数を消していては、解が一意に定まるまで手間がかかって仕方がない。一方以下のようなシンプルな式であれば

もう一つ式があればaもbも定まる。中学生でも解ける簡単な連立方程式だ。

数学が人間に何かを語ることはないけれど、あえて大袈裟に解釈するならば変数は減らせば減らすだけシンプルに生きられるということではないだろうか。現代人は一つ目の式のように、たくさんの変数を持っている。aには「仕事」が入ったり、bには「友達」や「恋人」が入ったり、cには「服」や「美容」が入ったり。とにかく変数が多すぎる。解を求めるにはたくさんの式を用意しなくてはならない。一つの式に悪戦苦闘してるうちに、また新しく変数ができてしまう。いたちごっこに終わりはなく、気づくと疲れ切ってしまっている。自分にとって必要な変数を見極め、それ以外は消去する、というのはとても有効な解法ではないだろうか。

一方で変数が少なすぎるのも問題だ。最近、ミニマリストという言葉をよく耳にする。極限まで物を減らし、必要最低限の物資で生活するスタイルのことらしい。数式に表すなら、a=1。つまり、aは1しか値を取れない。果たして、その生活は楽しいのだろうか。僕はあまり賛同できない。できれば変数は3〜4個くらいで、aもbもcもdも、式によっていろんな値を取る生活の方がバラエティに富んでいて楽しい気がする。好きなモノは片っ端から買い、好きなモノに囲まれて暮らした方が、幸福度が高い気がするのは僕だけだろうか。


「広い世界のものには関心が持ちにくく、狭い世界のものには関心が持ちやすい」

岡が言うように、あまりに多すぎる情報を人は処理し切れない。関心が持てる範囲まで変数を減らしてみることで、より楽に生きられると僕は思う。

岡はまた、こんな言葉を残している。「情緒とは?」と聞かれた岡は

「野に咲く一輪のスミレを美しいと思う心」

と答えた。昭和を代表する数学者は、多忙な生活でも野に咲くスミレを美しいと感じる心の余裕を忘れなかった。それは自分にとって何が必要で、何が不要なのかを熟慮し、変数を減らしたからではないだろうか。情報が氾濫する現代においてこそ、狭く、深く生きることが求められていると、僕は思う。

それでは素敵な1日を。


岡潔のエッセイはとても洗練されていて情緒を感じさせる作品が多いです。興味のある方はぜひ読んでみてください。


この記事が参加している募集

#最近の学び

181,470件

最強になるために生きています。大学4年生です。年間400万PVのブログからnoteに移行しました。InstagramもTwitterも毎日更新中!