「片手間研究のための就職」から考える

割引あり

日々の生活に追われブログを書かずに過ごしてしまっています。計画している記事には手を付けず、ふと思い立った内容を雑にしたためていきます。

少し前まで大学教員をやっていたり、現在も某団体の理事を務めている関係上、この年齢にしては現役の大学生、大学院生との付き合いを少し多めに持っています。経歴的に特殊なこともあり、よく将来の相談を受けます。具体的には「博士課程に進学するべきか」「博士課程に進学した後でも一般就職は可能なのか」「在野研究をできる会社に就職したいが大企業がよいのか」などです。

「博士課程に進学するべきか」で行くと、「人より収入が少ない人生を数年過ごして、それで犠牲になるものに対してさほど未練がなければ行くとよい」と答え、「進学後も一般就職も可能なのか」であれば「できる/できないならできる」と答えています。いろいろ条件がついてくるとは思いますが、あまり深く考える必要のない疑問なのかなと思っています。今回取り上げるのは3つ目の質問です。

「在野研究をできる会社に就職したいが大企業に就職するのがよいのか」
この疑問が指す在野研究をここでは「片手間研究」と呼んでいます。
さて、この疑問に対しての答えとしては「人によりけり」でしょう。ですがもう少し寄り添ってみるといろいろ見えてくる疑問だなと思って取り上げてみます。

研究は続けたいという意欲への疑問

一応この質問からは「研究は面白いから続けたいとは言いたい」ということが透けて見えます。そうでなければ在野研究を続ける前提は提示されないので明らかです。ただここで言う研究とは何を指すのでしょうか。 私は今大学院生や若手研究者が直面している、立場上必須となる研究と、自由意志で行われる研究は異なるものだと認識しています。もちろん不可分でもあり、重なる部分も多くあるのですが、現代の大学環境では「業績となる研究」を行い続けることは死活問題です。その視点を通して考えた時、大学院生に置かれている人間が放つこの言葉は前者と後者のどちらに当たるのか、見極めるのは非常に難しいなと感じます。 この疑問は発言者に対してシビアな目を向けることが目的ではなく、むしろ「本当にそこまでして研究したい?研究しなければいけないという呪縛に捕らわれてない?」という救いのつもりです。 「業績となる研究」というものは「ポストを得る/維持するために必要」であると同時にその中身は「広く学界に貢献する研究」である必要があると思っています。まさしくタイムリーなツイートを1つ引用しておきます。

ここで何が言いたいかというと、「大学での業績を前提とした研究」にこだわった在野研究なんてやらなくていいじゃないかということです。自分の知りたいことだけを好きな形で発表し、それが学術界に貢献できたらそれはそれであり、ぐらいのスタンスで研究を捉えて一般企業に飛び込むのがよいのではないかと思っています。

労働が楽しくない前提

要は「生活の糧を得るために企業勤めをして、楽しい時間は業務時間外にすべて求める」ということが頭の中にあるのだと思います。1年半ほど企業で働いて、この考えは非常にもったいないなということを感じました。よく言われる「一日の大半は働いているんだから楽しまないともったいない」みたいなクソサラリーマン根性論みたいな意味ではなく、自身が楽しいと思える環境や労働内容は探せば存在するということです。
博士課程まで進学しようと思った人であれば結構な確率で「自分が興味を持つ」ということについてある程度一般化できるのではないかと思っています。そんな人なら「とにかく几帳面に片っ端からこなしていく」とか「データに基づいて判断を行う」とか「限られた情報から仮説を大量に生み出す」とかいろいろと自身の興味・関心・得意なことを拡張して捉えられるかと思います。(社会性強者論な側面が強いですが、これがないと現代の大学でも生き残るのは難しい印象)
もちろんその興味の対象が自分の研究対象と関連するかもしれない(文学研究する人が国語の先生とか、メディア論の人が広告事業部など)ですし、研究手法と仕事内容を絡めることもあるでしょう(理系修士卒はほぼこれの印象)。
こういった自分が面白いと感じているものを拡張して捉えなおした場合、一般企業での労働というのはかなり意味が異なってくるとは思いますし、仕事内容にも目を向けるきっかけができてくるのではないかと思います。

さいごに

大学的業績の形式を重視した在野研究を片手間研究と呼びました。本当に研究が続けたい(そしてどこでも続けられるもの)ならいろいろ前提を敷かなくても研究は続けられると思います。テーマをもって読書を続けて自説を説いてもいいし、適当に転がっているデータを分析して何か語ってもよいのです。もちろん大学から離れると研究を続けることは当たり前ではなくなるし、自分のモチベーションも含めた研究を続けられる環境を維持するのはすごく難しくなります。私であれば大学から離れたことで家族の時間を優先しない理由を失ってしまい、これまでとは大きく異なった時間の使い方をしています。それでも現職では自分の興味のある内容・方法を実践しながら働くというところでそこそこ満足度の高い日々が送れています(逆に前職ではそのあたりが難しく、いかに労働時間を減らすかに苦心していました)。
どう働きたいか、何は嫌で何が好きか、何を一番重視するのか、そういったものを軸にして自分の将来を考えてみると案外意外な働き方が自分に向いていることが見えてくるかもしれません。アカデミックな世界で生きることを念頭に置いていると働き方のイメージは狭くなってしまうので、進学か就職かを迷っている人は「研究をできそうかどうか」は一旦忘れて考えることをお勧めします。

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