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【公開記事】がんばってね、俳句(塔2024年7月号「わたしの休日」欄)

先日、久しぶりに会った友人と四人で、チーズがなみなみと乗ったピザを食べた。この友人たちは、私が短歌なるものを書いていると知っているので、そんな話も隠さずにできる。

そう、私には短歌の話を「する」相手と「しない」相手がいる。しない相手に「休みの日は何をしているの?」と訊かれるたびに困ってしまうけれど、それでも口を割らない。

かつて職場の人に趣味を尋ねられ、隠すことでもないと「短歌をやってます」と答えた。すると相手は不思議そうに「こう、さらさらっと色紙に書く感じ?」と筆を走らせる真似。

うう、間違ってはいない。けれど二人はすでに切り立った断崖の両側に立っていて、私はしばらく絶句するしかなかった。あるいは似たような経験を持つ方も多いのではないだろうか。

短歌の話を「する」友人でも、少し油断すると「がんばってね、俳句」と励まされる。理解してくれると思って打ち明けた相手だけに「ブルータス、お前もか」と、せつない気持ちになる。

試合後のお立ち台では「お気持ちを一句でお願いします」と請われ
          小野田光『蝶は地下鉄をぬけて』

この主体もお馴染みの、あのせつない気持ちを知っている。短歌と俳句の認知度の差は私の想像よりずっと大きい。

一年分とも思われるチーズを摂取したあと、更にケーキを食べ、友人と別れた。短歌の話は今回も少しだけ。どうしたって仕事やテレビの話の方が共感しやすいから、短歌の話はあっさり切り上げる癖がついた。

短歌の伝わらなさにちょっとだけ傷ついて、でも一生懸命やっていることをひた隠しにするのもおかしな話で。その矛盾を抱えて、私は今日も誰かに会う。言える人だろうか、とどこかで相手を見定めるようにして。


結社誌「塔」で2024年7月号からコラム「わたしの休日」欄を担当しています(奇数月担当)。
ひと月遅れでこちらの記事を公開します。

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