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【公開記事】戻れない世界を生きる(『歌壇』2024年4月号作品評)

『歌壇』2024年4月号掲載の作品評(批評対象は2024年2月号)を公開します。


◇巻頭作品三十首「Rainy Pain」より

空しかない国に揚がりし凧あまたぐいぐいと空へ食ひ込む力
           
Rainy Pain鉄の椎の実貫ける生者死者そして未来に立つ人

石鹸をつかへばわが手はたつたいま良き事終へしやうなる香り

               川野里子

昼のガザ地区と朝の長沼町という町。その二カ所を夜のパートが繋ぐ三部構成の連作。
一首目、ガザ地区ハンユニスでは、東日本大震災の犠牲者追悼のため、毎年春に凧揚げ大会が開かれる。その動画を見て現在のガザに思いを寄せる。
「空しかない国」は後の歌に出てくる「天井のない監獄」と逆説的な対になっている。
下句はまるで凧自体が意志を持っているかのようだ。
ガザで暮らす人々の行き場のないエネルギーが空へ向かう。
二首目、「鉄の椎の実」は無論弾丸だろう。「未来に立つ人」まで撃ち抜かれているのは、その日までに争いがやむことはないと、暗に告げているのか。
作品に七回登場する「Rainy Pain」。発音すると暗い響きのこの言葉で、読者の聴覚に訴えかける。
三首目、「わが手」は、あらゆる人の「わが手」。本当は、この手は何をしたのだろう。職場で、台所で、戦地で、誰もが洗った手をじっと見つめる。

◇巻頭作品二十首・十首より

裁断されし衣類と赤いマフラーが戻され来たり死後のごとくに
        
南天の実ももみぢ葉もうつくしく夫不在のマンションのまへ

          「木更津」花山多佳子

夫が家の前で車にはねられ搬送されるという、極めて緊迫した状況を詠うが、ドキュメンタリーのように客観的な一連だ。
一首目、夫の手術中に返却される衣類とマフラー。まるで形見のように不吉だ。
マフラーが赤いのは実景だろうが、血液の色でもある赤が禍々しい存在感を放つ。
二首目も「不在」の歌。主体は一度帰宅したのだが、家の前に植えられている南天の実も紅葉もいつもどおり美しいと感じた。
よくあるのは「いつもとまるで違ってしまった」という捉え方だと思うが、ここではその逆を詠む。
夫が病院にいても、世界はまるで変わらず木々は美しいままなのだ。そこに作者独特のクールさがある。そしてここでも「赤」が効果的に使われている。

近づきて口をすぼめて目を落とし皿よりいただく盛りこぼしの酒

空へ向く段をのぼりてわが立てり前方後円墳の円の真ん中

          「路地と墳丘」内藤明

暮らしの傍らに古墳がある、そんな日々を綴った一連。
一首目、酒を呑む時に無意識に行っている細かな動作を描く。リズミカルで臨場感があり、読者もその姿をじっと見守っているような気持ちになる。
二首目、前方後円墳の円の真ん中に立つ。古代の王になったような壮大な気分に違いない。
下句の字余りで読む時間が引き延ばされ、時空の広がりを更に味わうことができる。

こもり居も一年となり春も炎暑もみやびの秋もとろりとあれば雪が怒り来る  

その人ならもう居ないよと言ふ声のどこからかして夕ぐれとなる

          「春の修羅」松川洋子

コロナ禍、もしくは体調不良で在宅が続く主体。春夏秋と季節は移ろうが部屋にいては「とろりと」しか感じられない。
しかし冬は違う。怒っている。感受性が弱っている主体を叱咤する、雪。音数が非常に多いのもユニークだ。
二首目の声は、実際に近隣から聞こえてきた声と取った。その内容も、声だけという状況も宙ぶらりん。
そして声が夕暮れを連れてきたような表現が印象的だ。

昼食の前はハイボール欠かさぬを告げずとも出す飯店の女将おかみ
         
小高賢逝きて十年 鋭き批評はた苦言など浮かぶ折ふし

          「邂逅」晋樹隆彦

これまでの数多の邂逅を偲ぶ。一首目、わざわざ言わなくても女将は心得たものだ。久しぶりに顔を出しても覚えていてくれた嬉しさが滲みだす。
二首目、何かにつけ思い出す批評や苦言は、作者の生きる指標となっているのだろう。
苦言は当時耳が痛かったかもしれないが、二人が深い絆で結ばれていたことを歌は伝えてくれる。

◇第三十五回歌壇賞 受賞・次席・候補作品より

しなやかなめまいがあって手をついた場所から果樹が広がってゆく

どうしても勝ち負けのことを言うのならその中央に硝子のチェスを

          「ハーフ・プリズム」早月くら

歌壇賞受賞作。一首目は冒頭の歌で、これから始まる一連を鮮やかに立ち上げる。
「めまい」「手をつく」という内的な感覚、触覚から、下句「果樹が広がる」という視覚的なイメージへの転換が美しい。
二首目、勝敗にこだわる相手の思考を打ち砕く、冷たく鋭利な硝子の駒。
抽象的な地点に駒を置く指まで想像してしまう。
「その」が上句全体を指しているねじれた繋がり方が魅力的。

仰向けのわれのからだは少しだけみずうみ 闇に眼をあけている
        
まばたきのたびに途切れているはずの、まなうらを降り続ける雪の

          「白昼」福山ろか

次席作品。一首目、横たわった身体が湖のようだと言う。
底深く自我を沈めて表面は青く凪ぐ、そんな湖を世界中の人が持って眠りにつく情景が浮かぶ。
二首目、上句は「雪」にかかるのだろうか。視認している世界は、確かに瞬きの度に分断されているのだ。
ここではまなうらに雪が降っているから、目を開く度に雪は分断されている。一瞬と永遠を内包しているような儚い一首。

青年は椅子を立ちたりひらひらと日本地図のみ一枚持ちて
          「海のもの、山のもの」松本志李

屈託がありつつ明るい一連。ガイドブックのない旅は己の勘や経験が頼りだ。旅慣れた青年を眩しく思う主体。

頂上さえも死の領域で わたしたちどこに至ればいいのだろうか          
          「追憶」からすまぁ

何事も上を目指したいが、実際の山なら滑落死の危険が増す。そこにある葛藤を描く。
山で亡くなった父が主体を何度も傷つける、その様が強く表れた作品だ。

わたくしの髪をおかしたどの雨もきみをぬらしてくれますように       

飲むときのそれはきれいな喉ぼねのうごきをわたしだけに見せてよ

          「カストラート」はづき

一首目、雨に侵入されることで、間接的に二人が繋がりたいというねじれた思慕。
二首目、初句の性急さ、下句の独占欲。激しい愛の歌だ。選考で言及されたように、男性同士の恋愛を描く連作と取った。
ここでは「喉ぼね」にそれが表れており、非常に象徴的でインパクトがある。

◇作品十二首より

いまはの息つくごと冬の遠街をんがいのスカイツリーは点灯を終ふ
          「冬の遠街」秋山佐和子

ふうっと最期の息を吐くように、スカイツリーが消灯され、闇に包まれる東京。一瞬の光景を詠んだ。

明るすぎる青ぞらへ舌をだすように父の匂いのする布団干す          
          「父の匂い」天野匠

布団をだらりと干す様を舌に喩えた。青空を汚すような喩えや歌のリズムに、父への気持ちの屈折を感じる。

増えてゆく感情のかず比例して増えてゆく手を斬り落としたし

かんのん、と彼女はそれを呼んでいた月いちどらんを捨て流すこと

          「かんのん」小島なお

千手観音の千の手は人々を救うための手。だが主体は感情が複雑になるほど手が増えると感じ、それを疎んでいる。
負の感情のみならず、全てにおいてシンプルな気持ちでいたい、と望む。
二首目、月経を「観音」と隠語で呼ぶ「彼女」。
下句の即物的な言い方は主体の気持ちの表れで、月経に対する二者の捉え方のギャップが鮮明だ。

輪のゆれる銀のピアスが似あひさう普賢菩薩の心ゆたけく        
          「星ふたつ寄る」寺島博子

仏像がピアスでお洒落をしたら、という発想に心惹かれた。上句のゆったりした調子も歌に明るさを添える。

さよならはつねに灼熱 花火にて暗き地上がいまひらかれる          

全力でだつたそれでもだつたからただただ散つてしまつた芙蓉

          「絶望と」藪内亮輔

主体にとって別れは焼けつく痛みを伴う。下句は世界が始まる瞬間のようだ。熱によって閉じた世界が、再び熱によって誕生する。
二首目、「だつた」は過ぎた時間を象徴している。「た」や促音の繰り返しが叩きつけるように力強く、だからこそ散った芙蓉の景が静かでせつない。

◇『短歌研究』二月号「2月の新作短歌集」より

剪定鋏いづくにか打ちあはされつ空より取りいだすもののあるべく       
          「冬の香」横山未来子

鋏が見えないからこその発想が光る一首。力強い鋏の音だけを頼りに、読者もまた空から何かを取り出すのだ。

たはやすく死のはひりこむ雨の朝ピザトーストのふちは堅しも          
          「弔意」門脇篤史

祖母の訃報を告げる電話のあと、以前の世界から続くのはトーストの食感だけ。普段「死」は意識外に締め出されているが、いざ侵入してくる時はいとも容易である。

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