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#09 置物

 押入れの片付けをしていて、京子はその置物を見つけた。手に載るほどの大きさで、上等な和紙にくるまれていた。
 からみあった木の根のようだったが、自然の根ではなく、人の手で彫られたものだった。多数の蛇のように見えるが、頭や目は見当たらない。黒ずんだ茶色の表面に、鈍く光る艶があった。

「何かしら、これ」
 和紙を広げた上に置物を載せて、京子は夫に示した。
 居間のソファーでテレビを見ていた夫の修平は、のっそりと身を起こして置物を見た。
「ああ、それか」
「何か謂れでもあるの?」
「いや、べつにそんなたいそうなものじゃない」
「いらないもの?」
「ああ」
「じゃあ、捨ててもいい? 押入れをすこしあけて、整理棚を入れたいと思って」
「いいよ。かまわない」

 台所のゴミ箱のところへ、京子は置物と和紙を持っていった。ゴミ箱の蓋を開けながら、もういちど夫に声をかけた。
「ほんとに捨ててもいいのね」
 置物のうねくるような形に、京子は不思議な生命力を感じた。捨ててはいけないような気がした。
「捨てていいよ」
 夫ののんびりした声が返ってきた。
「捨てるわよ」
 京子は念を押した。

 夜、寝床に入るとき、胸騒ぎがした。後悔のようなものがあった。寝ている間に、いやな汗をかいた。
 翌朝、熱が出て、節々が痛んだ。起き上がるのも一苦労だった。ようやくの思いで朝食の支度をし、夫と息子を送りだしてから、医者に行った。
「風邪でしょう」
 医者はもっともらしい顔で言った。なんだかいいかげんな診察のような気がした。
 薬をもらって帰り、それを飲んで寝たが、すこしも快方に向かわない。かえって寒気がひどくなった。いくら布団をかぶっても、がたがたと体が震えて止まらない。
 これは風邪なんかじゃない、と京子は思った。

 午後になって、息子の通う小学校から電話が入った。洋平が鉄棒から落ちて、腕を骨折したという知らせだった。
 すぐに飛んでいこうとしたが、とても体が言うことを聞かなかった。しかたなく夫の会社に電話を入れた。
「洋平が骨折?」
 予定をキャンセルして息子の病院に行く、と修平は言った。
 京子はほっとして布団に横たわった。
 熱にうなされながらしばらくまどろんだ。
 が、ふと目を覚ますと、じっとしていられない気持ちになった。力の入らない体を引きずるようにして寝床から這い出した。
 洋平の病院へ行こうと、外出着に着替えた。
 着替えたところへ、電話が鳴った。
 警察からだった。

「ご主人の乗ったタクシーが……」
 と担当の警察官が言った。
 洋平の入院先へ向かう途中、タクシーを急がせすぎて、事故に遭ったらしかった。意識不明の重体だという。
 その場へ倒れこみそうになる自分を叱咤して、京子は夫の入院先へ駆けつけた。
 修平は手術室に入っていて、顔を見ることができなかった。担当医が悲痛な顔で、今夜が山になるでしょうと告げた。

 それから、息子の入院先へまわった。痛々しく腕を固定されていたが、明日には歩いて帰れるだろうということだった。
 すこしほっとすると、京子は自分の具合がいっそうひどくなっているのに気づいた。息子の入院先の病院で診てもらった。
 血液検査の結果を検討しながら、医者がしだいに難しい顔になってきた。
「風邪だなんて、いったいどこの病院の診断です? すぐに入院していただかないと命の保証はできませんね」
 重々しく医者が言った。

「なんていうことになっちゃうんじゃないかしら。これを捨てたら」
 置物と和紙を居間に持ってかえって、京子が言った。
「あっははは」
 修平が笑いだした。
「どうして笑うの」
「実は、亡くなったおふくろも、いつもそんなことを考えて、その置物を捨てられずにいたんだ。祖母も、曾祖母もそうだった。それで代々その置物は我が家にあるんだよ」
(了)

芸生新聞 1997年11月10日号

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