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そろそろ隠棲・・・徒然に書こうかな

とにかく寒い。
しかし、この寒さがいいのかもしれない。

おもむろに、徒然草を再読する。
ときどき、無性に読み返したくなる。かつて小林秀雄が、「徒然草」はモンテーニュの「エセー」のダイジェスト版(ちょっと言い方が違うかも)と評したが、なるほど、似ているところがある。
つまり、「世捨て人」からの視点。

最近、○○したい。何をやろう、これをやろうと思うのだが、一日たつともう面倒くさいと気が変わることが多くなった。

こんなこと、わざわざ言葉にする必要がないのは百も承知だが、何とはなく、欲望のダウンサイジングの時期に入ってしまったかもしれない。若しくは、身辺整理の段階。
物は持たない、物は捨てる、余計な人間関係も捨てる。つまり、隠棲。

小説とは、それ自体が、欲望(名声、お金、栄誉)の塊と言ったものだが、だんだん、書くことと、そうした欲を切り離せるようになってきた。ある種のあきらめと言われればそれまでだけれど。

この、Noteを始めたきっかけも、自分の作品を知ってもらうための、PRのツールとしてだった。その頃の記事には、まだ自己顕示欲のようなぎらぎらした欲望が、書いた記事の裏側にびっしり張り付いていた気がする。

しかし、あまり作品の売れ行きとリンクしないのもわかってきたのと、人に読んでもらうという前提で書く、ブログ、エッセイというものが辛くなってきた。

かの村上春樹さんも、エッセイをずっと続けていると、自分の中が空っぽになっていくような気がする(『ひとつ村上さんで、やってみるか』 朝日新聞社)とおっしゃっていた気持ちがよく分かる。

かといって、あまり、エッセイとは何か、随筆とか何か、とか考えると、難しい話になってしまうので、とりあえず、自分の作品紹介のための手段目的というのはいったん棚上げして、今後は、ただ、徒然なるままに、ただ文を書いてみようかなと思い始めた(よくあるパターンでもある)。

モンテーニュも、鴨長明も、別に世俗の中で、人気、権威を得たいわけではない。「この世界に自己を見出していくためだ」と、似たような書いているが、もちろん彼らに遠く及ばないが、そんな気持ちでNoteを続けていこうかな、それも気が変わるかもしれないけれど。

まあ、駄文続きで、それでフォロワーがゼロになったら、なったでしょうがないのでしょう・・・。

心から「世捨て人」、「隠棲者」になれて、本当の意味でエセー(随筆)が書けるのかも知れないと思う今日この頃でした。

初夢を 十日過ぎて 思い出し





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夢はウォルト・ディズニーです。いつか仲村比呂ランドを作ります。 必ず・・たぶん・・おそらく・・奇跡が起きればですが。 最新刊は「救世主にはなれなくて」https://amzn.to/3JeaEOY English Site https://nakahi-works.com