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【書録切書】 五月五日条呂 (『現代思想 総特集 陰陽道・修験道を考える』より)


※「【書録切書】 五月五日条伊」の続きです。長いので切りました。



■ 斎藤英喜 「異貌の <日本宗教史>をもとめて 折口信夫・陰陽道・いざなぎ流」 ■


 今月の『現代思想』の特集はなんと「陰陽道」と「修験道」である。トップバッターの斎藤英喜氏(神話伝承学)がこれらの現代における重要性を簡潔にまとめてくれている。氏の最近の著書には『折口信夫 神性を拡張する復活の喜び』 (ミネルヴァ書房、2019年)がある。

日本史学や宗教史、思想史研究、民俗学のなかで陰陽道や修験道の研究が活発化するのは、一九七〇〜八〇年代の、いわゆるポストモダンという思想動向と呼応するものであった(8-9頁)。


民間の神道の力。それを保持したのは実は「陰陽道の方式」であった。その痕跡は中世の「吉田神道」に見出されるーー。なんと折口の陰陽道研究は、中世の神道研究にもリンクしていくのだ(14頁)。

折口論文「民間信仰と神社と」における言及に関して。

じつはヨリシロの問題は、神社神道(近代神道)とは異なる神のあり方を探求する始発点にあったのだ(19頁)。

>「トーテミズムシャーマニズムは『近代』を脱構築する急先鋒となった」、というような内容をどこかで読んだことがある。



■ 安藤礼二 「聖不動論」 ■


役優婆塞が解放するアナーキーな力は、そのまま仮名乞食が解放するアナーキーな力となろう。空海の真言乗密教とは、そうした力をコントロールすることによってその体系が形づくられた。だから、その教えには権力を構築するとともに権力を解体することも可能にするのである。役優婆塞と仮名乞食は権力の象徴にして反権力の象徴でもあった(296頁)。

>「仮名乞食」は、空海の著作『三教指帰』の登場人物で仏教が儒教・道教よりも優れたものであると説く。


極東の列島最古の正史である『日本書紀』ーー『古事記』が本格的に読み直されるのは修験道が盛行しはじめる中世末期からであるーーには、相反する二つの教えが説かれていた。「憑依」にもとづいた神道と「如来像」にもとづいた仏教である。その二つの相反する教えを修験道は一つに総合する(296頁)。




■ ファビオ・ランベッリ 「山の彼方、大海へ 海の日本宗教史への航路」 ■


日本の宗教史研究は主に大陸的で内陸的な文化環境を意図的に生み出し、海に着目せずにきたと言っても過言ではなかろう(363頁)。


日本各地の漁村や航海民の共同体では、標準的な陸型の宗教性の枠に収まらない多数の思想、儀礼、信仰が存在する(370頁)。



【追記】そういえば前回の答え、「大田田根子」です。

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