憲法雑記【1】
ここ20年くらい憲法について調べてみて―といっても憲法の解説書を20~30読んだ程度だが…、思うことを書き残しておこうと思う。
NHK連続テレビ小説は①先の戦争を生き抜いて、②自由な恋愛や結婚ができず、③その想いを抱えて戦後を生き抜いた女性の物語は高視聴率
朝8:00から現在放送中のNHK連続テレビ小説、カムカムエヴリバディを毎日楽しみにしている方も多いだろう。
上白石萌音演じる橘安子は、岡山で和菓子屋たちばなの長女で、地元の名士、雉真繊維の跡取り雉真稔と恋仲になる。稔は父親の千吉から銀行の頭取の御令嬢との見合いを言い渡される。
稔は、安子への思いを父、千吉と母、美都里に伝える。父母ともに安子とでは家柄が合わないことを理由に交際を反対する。稔も跡取りとしての立場上、安子のことはあきらめる決心をする。そんな時千吉がたちばなを訪れる。
千吉は心優しい安子に接して、二人の交際を認め結婚を許す。 しかし稔は学徒出陣で戦地に赴くことになる。わずかな結婚生活であったが、子供を身ごもり、楽しい日々を過ごした。稔は出征前、子供の名前を安子に託す。その後、稔は帰らぬ人となり、安子の波乱万丈な人生が始まることになる。
安子は幸運だった。好きな男と結婚できたのだから。当時、多くが親の薦める相手と見合いで結婚が決まっていたのだから。特に戦争が身近にあるこの時代、軍人多くが結婚を急いだのではないだろうか。しかし、見合いだろうが、恋愛だろうが、夫は戦地に赴き戦死の報は紙一枚だったことには違いない。
憲法にこんな私的なことを書かなくてもいいんじゃね!と思ったのだが、今となってみると「もっと書いてもいいんじゃね!」と思った。
日本において戦前の結婚は親の承諾もしくは親が決めることが多かった。どんなに愛し合っていても「家」の事情や反対で結婚をあきらめることも多々あっただろう。
しかし戦後24条によって婚姻は、両性の合意のみと規定されたことによって、親の承諾は、習慣としては残ったが法律上は「結婚したい」という男女の意志が唯一の成立条件となった。
朝ドラで視聴者もキャスターも涙するシーンのは、互いに通じ合っているにもかかわらず、不条理にも引き離される女性の―—時には男性の、思いに感情輸入するからだろう。
そういう不条理を、その時日本で過ごした西欧人は、どう感じただろうか。西欧もまだまだキリスト教に由来する、そのような習俗を、残してはいたが、女性の権利ということでは、ドイツワイマール憲法などは、アメリカ憲法より踏み込んだ規定をしていた。
日本国憲法の草案であるマッカーサー草案で、家庭条項を起草したのが、ベアテ・シロタ・ゴードン女史であった。彼女はウイーン生まれで、5歳で来日、15歳でアメリカ留学をするまので10年間を日本で過ごす。
彼女はアメリカに留学したとき、日本人を排斥するアメリカ人たちに「憤慨」し、また学期末休暇で2か月間、両親と軽井沢で過ごしたときは、日本に「帰国」したと感じるほど、心は日本人であったという。
大学では、女子学生に対し、職業を持ち政治に参加する必要性を説いていた学長の教えで、進歩的なフェミニスト女性に成長していたベアテは、戦後、日本語を生かし、GHQのリサーチャーの職を得て焦土となった「故国」に帰国した。
彼女は2つの視点を持っていた。1つは日本人としてのそれ、もう1つは政治参加するフェミニスト女性としてのそれだ。そこから、彼女は日本人の半数である日本女性について、政治的社会的な視点から考えるようになったのだろう。
幼いころの経験から、後年日本女性を、夫の後ろを歩き、客が来ても一緒に食事をしたり、会話したりすることもなく、ただ給仕をするだけ。日本の女性には社会的な役割は全くない。離婚もできず、好きな人と自由に結婚できない。財産権もないし、相続もできない。心に深く刻み付けられたと語っている。
ベアテ家族は、乃木坂近辺に居を構えており、父はキエフ出身の著名なユダヤ人ピアニストで、山田耕作の招聘で東京音楽大学教授であったため、家には当時の文化人や徳川家や三井家などの侯爵伯爵が集うサロンのようであったという。
また、ベアテの留学ビザが時勢でなかな取得できないときには、父レオが近所に住んでいた、広田弘毅に頼んでアメリカ大使館に了承を取り付けるなど、当時の日本の上流階級から得られた印象なので、一般社会はもっと女性地位は悪かったのかもしれない。
実はマッカーサー草案ではこのように家庭と女性について細かく規定されていた。しかし英文草案から日本文草案が作成され、その日本文草案をもとに日本国政府とGHQとで話し合い、憲法改正草案が作成された。
この事細かな女性と妊婦、児童生徒の権利条項は、まずCHQが英文草案を作成する段階で、民生局内の米国弁護士によって大幅に削除され、一部残された条項も、日本国政府から憲法に規定することに反対されたという。
僕らはアメリカが人権の国ような印象を受けているが、今でもアメリカ憲法には男女平等や人種平等のような条項はない、フランス憲法にもない。アメリカもフランスも人権擁護では現実的には、日本よりも進んでいるかもしれないが、憲法に規定されていないのは事実である。
女性の人権擁護に無理解なアメリカ人弁護士がいなければ、非嫡出子の問題は、戦後の日本には存在しなかったかもしれない。
いずれにしても、世界的に見ても珍しい婚姻条項は日本国憲法に規定された。おそらくだが、この条項を日本女性は喜びをもって受け入れたことだろう。婚姻条項は恋愛の悲劇を撲滅したのだが、戦後のドラマをつまらなくしたのかもしれない。
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