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「世界のオザワ」成功の秘訣を探る!クラシック音楽家・小澤征爾

いつも記事をご覧くださり、誠にありがとうございます!

前回、ベルリン・フィルの来日を記念し、クラシック特集をしたところです☆

が、日本人のクラシック入門ならば、やはりこの方をご紹介せずにはいられません!

「世界のオザワ」

というわけで、今回の記事では、日本の誇る世界的指揮者・小澤征爾をご紹介し、その成功の秘訣を探ってみたいと思います。



日本人のクラシック奏者を語るなら小澤征爾!

小澤征爾は、世界的な指揮者・音楽家です。

1973年から29年間ボストン交響楽団の音楽監督を務めます。

29年にも渡る音楽監督というのは、アメリカのオーケストラ史においても稀なことだそうです。

2002年‐2003年シーズンから2009-2010年シーズンまでは、ウィーン国立歌劇場音楽監督を務めました。

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団名誉団員、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団名誉団員、ボストン交響楽団桂冠音楽監督、セイジ・オザワ松本フェスティバル総監督、新日本フィルハーモニー交響楽団桂冠名誉指揮者でもあります。

「世界のオザワ」として名高く、欧米圏では「日本人はよく知らないけどオザワなら知ってる」という方もいらっしゃるほど、その評価は絶大です。


中学生時代にピアニストを断念、音楽教育家・斎藤秀雄と出会う

幼い頃からピアノをたしなみ、ピアニスト志望だった小澤征爾ですが、中学時代のラグビー部のケガにより、ピアノの道を断念。

代わりに斎藤秀雄の指揮教室に入門し、指揮者の道を歩み始めます。

斎藤秀雄は、桐朋学園の伝説的な音楽教育者・音楽家

英語学者の斎藤秀三郎の次男として生まれています。

※斎藤秀三郎について書いた記事はこちら!↓↓

斎藤秀雄も、「指揮法教程」という著書がレナード・バーンスタインに絶賛されるなど、優れた音楽教育家だったことが分かります。

小澤征爾は斎藤秀雄との縁もあり、名門の桐朋学園短期大学に進学。

肺炎で卒業が遅れてしまい、仲間がどんどん音楽家として名を馳せていく中で、一人悔しい思いをしたと言います。

そんな時に支えになったのが、父の「嫉妬は人間の一番の敵だ」という言葉だったそうです。


単身渡欧

短大卒業後の小澤は、しばらく日本で活動した後、1959年に単身フランスへ渡欧。

アシスタント的存在であった小澤征爾を失うため、斎藤秀雄は渡欧に反対したそうですが、小澤は友人たちのツテで渡欧資金を調達。

スクーター、ギターと共に、貨物船で渡米したそうです。

パリ滞在中に第9回ブザンソン国際指揮者コンクールで第1位を獲得。
カラヤン指揮者コンクールでも第1位。

その後はヘルベルト・フォン・カラヤンと、レナード・バーンスタインという二人の巨匠に師事します。


カラヤンとバーンスタインに師事

小沢征爾が師事したカラヤンとバーンスタイン。

共に、20世紀を代表する音楽の巨匠です。

カラヤンは、ベルリンフィルの音楽監督を30年近くも務めています。


※ベルリン・フィル、カラヤンについては前回の記事内容もご参照ください♪↓↓

カラヤンは、1956年ー1989年までの30年間、ベルリン・フィルを率いました。

カラヤンの音楽は、豊饒な響きと透明性、音の美しさと正確なアーティキュレーションなど、対極的なものが共存し合っていることが大きな特徴とされています。

ベートーヴェンやR・シュトラウス、ワーグナーを得意分野としていましたが、それ以外にもレパートリーの幅は広く、他に類を見ません。

30年以上もベルリン・フィルと共にあり、カラヤン時代のベルリン・フィルは音楽史に残る大きな影響を及ぼしています。

現在までカラヤン人気は衰えておらず、「ベルリン・フィルといえば、何と言ってもカラヤン!」という方も多いです。

カラヤンは、小澤征爾の指揮するコンサートを直接鑑賞して、その才能に感銘を受け、自ら指揮法や音楽解釈についてのアドバイスするようになったといいます。

バーンスタインも、小澤の才能を高く評価していました。

1960年には、バーンスタインの紹介でニューヨーク・フィルハーモニックの副指揮者に就任したそうです。

小澤は、二人との間に、お互いを尊敬し合う師弟関係を築くとともに、熱い友情を築いたと言います。

世界的な2人の巨匠から音楽を体得した小澤征爾。

自らもまた、世界を代表する指揮者へとなっていきました。

29年間務めたボストン交響楽団の音楽監督として、オーケストラの評価を国際的にも高め、世界中での公演活動に成功しています。


西のカラヤン、東のバーンスタイン!

小澤征爾が学んだ、カラヤンとバーンスタインという伝説的な2人について、もう少しご紹介しておきましょう。

バーンスタインと言えば、ウェストサイドストーリーの作曲者としても有名です。

クラシック後退国だったアメリカを世界のトップに引き上げたのはこのバーンスタインでした。

カラヤンと同世代で、「西のカラヤン、東のバーンスタイン」と良きライバルだったようです。

同世代の伝説的な指揮者といっても、カラヤンとバーンスタインはあらゆる点で真逆だったといいます。

磨き抜かれた彫刻のように豊潤な音楽を奏でるカラヤンに対し、激しく情熱的でダイナミックな指揮をするバーンスタイン。

オペラの得意なカラヤンに対し、マーラーの得意なバーンスタイン。

面白いほどに得意な分野も真逆だったそうです。

皆さんはどちらがお好きでしょうか?


教育者・小澤征爾として

桐朋学園大学の斎藤秀雄に師事した音楽家が集まるサイトウ・キネン・オーケストラ。

小澤は長らくこのサイトウ・キネン・オーケストラの指揮者でもありました。

サイトウ・キネン・オーケストラの主催するサイトウ・キネン・フェスティバル松本は、小澤征爾の名前を冠して、2015年から「セイジ・オザワ 松本フェスティバル」に名称が変わっています。

名称変更に際し、小澤自身は、「僕は天才ではない。努力家です。残された時間で何をするか。一生懸命やるしかない。そして次の音楽家を生み出す」とその抱負を語っています。


小澤征爾を生み出したものは?

以下、個人的な所感になります。

小澤征爾がなぜ、「世界のオザワ」と呼ばれるに至ったのか?
そのことを考えるにつけ、感じられる点は、以下の三点です。

一つ目は、人を惹きつけるポテンシャル。
二つ目は、一流の指導者に恵まれたこと。
三つ目は、本人の行動力と情熱。

まず、ピアノの道を諦めたけれど、代わりに指揮者へと転向しようと思った。
行動力と情熱を持っているからこその決断です。

そして見事に、斎藤秀雄に見いだされた。
ポテンシャルを感じさせ、一流の指導者に恵まれています。

単身渡欧を決めて、自ら資金を集めた。
これも、行動力と情熱です。

コンクールで第1位を取り、カラヤンとバーンスタインに見いだされた。
人を惹きつけるポテンシャルが発揮されています。

カラヤンとバーンスタインに師事した後も、彼らから学び続けて、友情を育むほどに良い関係を築いた。

一流の指導者に恵まれるだけの人格力を、ご本人が兼ね備えていたからだと思います。

天才は一日にして成らず。

この言葉の通り、小澤征爾という方も相当の努力家であり、だからこそ、運命に導かれ、世界的な指揮者になっていかれたのでしょう。

日本人の先輩として、世界に通じる方が出たことを、とても誇りに思います。


〈まとめ〉

いかがでしたでしょうか?
今回の記事のまとめはこちらになります。

・小澤征爾は世界的指揮者
・日本を代表する音楽教育家・斎藤秀雄に見いだされる
・世界的指揮者であるカラヤンとバーンスタインに師事
・ボストン交響楽団で約30年間に渡り音楽監督を務める
・サイトウ・キネン・オーケストラで後進の育成にも努める

〈小澤征爾成功の秘訣〉
①人を惹きつけるポテンシャル。
②一流の指導者に恵まれたこと。
③本人の行動力と情熱。

最後までお読みくださり、ありがとうございました!


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