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6畳一間、風呂なし、共同便所の家に漂っていた絶望感について そしてリストラされた男性の身に染みる一言

2001年、会社を辞めて無職になった私は池尻大橋の6畳一間、風呂なし、共同便所で1月3万円の部屋を借りました。渋谷まで徒歩20分と、悪い立地ではないです。

こうした部屋に住んでいる、というと、大抵は「めぞん一刻みたいな感じで、住民同士が交流して、きれいな管理人さんがいたりするんでしょ~」なんて言うのですが、ンなワケがない。

基本的に住民同士は「オレもお前も負け組」といった雰囲気を漂わせ、挨拶さえしないケースがほとんど。というか、「ガラリ」とドアが開く音がしたら、「今は絶対に外に出ないぞ」とばかりに、息を潜めるのでした。そいつがペタペタと廊下を戻ってきて再びガラリと扉を閉めたところでようやく廊下に出るのでした。

時々銭湯で会う金髪のニイチャンはよくしてくれていましたが、隣の部屋の空手家の男とはとにかく相性が悪かった。誰かを我が部屋に呼んでひそひそ声で喋っていたら壁を叩いて「うるせーよ!」の意思を示す。その20分後にはドアをガンガンと叩いて「うるせーよ!」と本格的にキレるのでした。それでいて、こいつは毎晩朝までテレビを見ていて、その音がうるせーっつーの。

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毎晩23時になるとこの廊下をペタペタと歩きながら「うぃーっ」と呻き声をあげるオッサンがいました。大家によると「あの人は自動車会社の工場で働いていたけど、リストラに遭ってアル中になったのよ」と余計なことを教えてくれます。

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まぁ、こんな感じの「とにかく雨露しのげればいい」ということを主眼に置いた人々ばかりで、完全に殺伐とした空間でした。

さて、私はフリーランスの2年目、400万円ほどは稼げるようになったため、8万2000円の部屋に移ることになりました。友人のオデッセイに荷物を積み込んでいる時、自動車メーカーをリストラされたあのオッサンが外にやってきて、「良かったな、ここから出られて……。オレなんて一生ここから出られないよ。若いんだからこれからも頑張れよ」と言ってくれました。私は助手席の窓から彼に手を振り続け「もうここには戻ってこないから。おじさんも幸せな人生を送ってね!」と心の中でつぶやいたのでした。

というわけで、フリーランスが稼ぐ術をまとめているマガジン、「月刊お気楽フリーランス論」、どうぞよろしくお願いします。1本300円で月1000円。12月は5回なので、月単位で購入いただければ1本200円となります。あのおじさんが「若いんだからこれからも頑張れよ」と言って、発奮してからの18年間について赤裸々につづっております。相当カネについては生々しい話を書いておりますので、どうぞ楽しんでくださいね。あとは実名もかなり登場します。カネについてただ「匂わせるだけ」とか本当は実名を入れた方がいいのにイニシャルトークとかって、リアリティがないし、本気で書いていないように思えるんですよね。

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