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エッセイ連載 第4回「お風呂は異文化……?」

 お風呂はシャワー派?湯船派?

 私は断然、湯船派である。浴槽にお湯を溜めて、時間を掛けて温まる。湯船に入らないのにそれは風呂と言えるのか?とすら思っていた。だが、それは私の文化。これまでの習慣であり、多くの人がそうではないと知った。いや、実感したのは、このコロナ禍になってからだった。
 コロナがまん延してからというもの、飲み会はほぼ「宅飲み」。つまりは、自宅か友人の家で行われることが常となった。親しい友人らの家で飲み、そのまま終電を逃し、泊めてもらうことが幾度かあった。流れで風呂を借りたわけだが、どういうわけか皆口を揃えて「うちはシャワー派だから」と言う。今のところ百発百中だった。もしかしたら客人の私には使わせたくないのか?と突っ込んで聞いてみたが(酔っ払い、図々しい)、どうやら日常的にそうらしかった。湯船に浸かるのはよほど時間があり、リラックスしたい時だけだそうだ。余談だが、シャワー派の家は風呂椅子がないことも多い。
 なるほど、面白い。友人の、つまりは他人の家に泊まると、自分の習慣と人の習慣、もっと言えば価値観がこんなにも違うものかと感じられて、なんだか別の惑星に来たかのような不思議な感覚になった。

 話を戻すと、私は風呂という文化がとても好きだ。毎日、42℃のお湯をたっぷりと溜めて、30分〜1時間は風呂場にいる。休みの日は、スマホや飲み物を持ち込み、2〜3時間なんていうのもざらだ。風呂は汗や汚れを出す場所であり、アイデアを出す場所でもある。「風呂は命の洗濯よ!」と某おねえさんの有名なセリフがあるが、本当にその通りだと思う。
 そして、大衆浴場、いわゆる街の銭湯が好きだ。この1〜2年、サウナブームに乗っかって、私はすっかりサウナにハマっていた。サウナはもともと好きで、小学生の頃から「わたしもサウナに入りたい!」という少しマセた子供だった。親戚を交えて家族旅行した際には、必ず「ねぇー、アカスリもしていい?」「マッサージやってみたい」「サウナ入る!」などと言い、大人を困らせたものだ。しかし、本当に、私は子供だった。今まで水風呂に入ったことがなかったのだ。温まるのは気持ち良いが、冷たい水に入るのは拷問だとずっと思っていた。今だから言える。「なんてもったいない……!!」水風呂の良さを知って真にサウナの素晴らしさに気がついたのだ。現在は、週1回、月に3回程度は様々な浴場に足を伸ばしている。

 いろいろと試して感じたのは、スーパー銭湯のような大きな施設や、ホテルについている大浴場・サウナももちろん良いが、自分が一番好きなのは、近所にある銭湯だということだった。住宅街や商店街の中に位置し、入口に番頭さんがいて、ちょっとだけ古くて、近所のお年寄りが通ってくる、そんなところがいい。料金も五百円程度、サウナを利用しても千円以下。シャンプーやボディソープ類は買うか持ち込むしかない。タオルも借りたら別料金、ドライヤーも小銭を入れないと動かない仕様だ。綺麗でアメニティが充実しているような風呂も魅力的だが、地元の風呂にはそこにしかない味がある。

 さて、そんな街の銭湯に行ったときのお話。その日は平日の夕方、新たな銭湯を開拓、サウナを堪能し、一番大きな湯船につかっていた。それなりに混んでいて、近所のおばちゃんたちが、自宅から持ってきたあのプラスチックのカゴ!(中には、大きなシャンプーや石鹸など様々な風呂グッズが入っている)を並べて、髪や体を洗っていた。時折、小声で話し、クスクスと笑うおばちゃん達。本当は彼女らと話してみたいのだが、今はコロナ禍ということもあり、黙浴だ。その気持ちをグッと堪えて、湯船に沈んだ。
 私が入っていた浴槽から、真正面が脱衣所だった。その銭湯は、浴室と脱衣所をつなぐ壁と扉がガラス張りになっており丸見えだ。「混んできたな」ひとり、またひとりと脱衣所に人が入ってくる様子を見ていた。すると、黒人の女性が入ってきた。服を脱ぐと、見える肌の面積は大きくなる。嫌でも視線が持っていかれる。皆がちら、ちらと彼女を視界に入れる。遠いこともあって、不躾ながら私は凝視してしまった。そして、「黒人も銭湯とか来るんだ……」と反射的に思ってしまった。彼女は、視線を投げられるのは慣れている、といった様子で、すましたような少し怒ったような顔をしていた。彼女が浴室に入ろうとすると、一人のふくよかな体型のおばちゃんが、浴室から出て行こうとして、黒人の彼女とぶつかりそうになった。おばちゃんは「あら、ごめんなさいね」というように軽く会釈をして、道を開けた。黒人の彼女も道を開けようとして、一歩下がった。ふたりはどちらが先に動くべきか探り合い、数秒の間硬直した。あの、たまに起こる”譲り合い精神のぶつかり合い”だ。おばちゃんは笑って「どーも」と浴室を出て行った。彼女は笑っていた。
 譲り合う優しさに肌の色は関係ない。そして、風呂に入ることにも肌の色は関係ない。同じ黄色人種の友人は、シャワー派。湯船には入らない。人種=文化を結びつけるのはもう古い。もしかしたら黒人の彼女の方が、私の惑星に近いのかもしれないのだ。私は反射的に思った「黒人も銭湯来るんだ」を少しだけ恥じた。そして、黙浴しなくてよくなったら、「風呂好き?」と彼女や銭湯に来る色々な人たちに話しかけてみたいと、未来への想像を膨らませた。まだまだこれからも、銭湯開拓という楽しみは続きそうだ。


NEXT 7月20日

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