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エッセイ連載 第3回「天国って信じる……?」

 今年、いやもう昨年か。昨年の年末から今年の年始にかけて、実家に帰っていた。数えてみたら約2年半ぶりのことだった。

 私は愛知県のキャベツと菜の花が有名な片田舎に生まれ、18で上京した。東京生活ももう12年になろうとしている。干支ひと回り分だ。「こんな田舎で一生を終えるのは絶対にイヤ!!」その一心で必死に勉強し、東京の大学へ進学するという正当な?理由で、憧れの街への切符を手に入れた。だが、最近になって思う。田舎も悪くない。むしろ好きだ。離れてわかる親のありがたみ、のように、離れてわかった田舎の良さ。なんというか、見える”色”が違うのだ。空の青が、太陽の白が、山や道に生える雑草の緑が、くっきりと鮮やかに見える。東京はもちろん楽しいが、人も多いしうるさいし、このコロナ禍でどこへも行けないこともあって、私は自然に飢えていた。

 360°遠くまで見渡せる広い空と、風の吹くままに流されていく雲。ずっと眺めていられる景色。あぁ、この変わらない風景が嫌で飛び出したのになぁ、などと、少しだけ感傷的になったのは、1月2日のこと。今年は親戚の集まりもなく観たいテレビもなかったので、暇を持て余し、ひとり散歩に出掛けていた。とにかく天気が良かった。温かい陽が差し、散歩にはうってつけの午後だった。小学校までの通学路を当時通っていた通りにそのまま歩いた。ふと視線を向けると、灰色の小屋のようなものが目にとまった。小屋というか、それは農器具を入れる倉庫だったのだが、それを知ったのはずいぶん後で、小学生の私は「中には何が入っているんだ?」「もしかして何か囚われているのでは?」「いや、誰かの秘密基地か?」と様々な妄想を膨らませていた。

 ある時、その小屋の前に猫がいた。いや、倒れていた。白い猫でそれなりに大きかったが、怪我をしているのか病気なのか、全く動かなかった。学校帰りにみつけた私と仲間たち(通学団のメンバー)は、ここにいては危ないと近くから板切れを探してきて、そこに猫を乗せ、小屋の裏手に運んだ。その日から毎日、学校に行く朝と帰りの時間に小屋の裏をのぞき、猫の生死を確認した。
 ドラマや映画、物語の世界ならば、ここで誰かが抱きかかえて病院に連れていくとか、家で介抱するとか、そういった展開があるのかもしれない。だが現実は、当時の田舎の状況は違っていた。基本的に野生の動物は多い。私が遭遇したことがあるのは、タヌキ、キツネ、ハクビシン、ネズミ、イタチ、モグラ、キジ、クジャク、ヘビ…などなど。もちろん野良ネコもたくさんいたし、その頃学校の裏の山に野犬が多く出没していて、「咬まれたら狂犬病になるから遭遇したら逃げなさい!」と大人に脅されていたこともあり、猫に触るのはどうなのか?病気を持っているかもしれない?という感じだった。私たちは、ただ、その死にそうな猫を人の目やそばを通る車から遠ざけようとしたに過ぎなかった。
 数日も経たないうちに、猫は死んだ。悲しかったのか、今ではその時の感情を覚えていない。だが、私は猫が死んだ後も、毎日小屋の裏をのぞいた。毎日、毎日。けれど小学生のすることだ。そのうちに他のことに興味が移って、猫のことなど忘れてしまった。
 月日は流れ、小屋の周りに背の高い雑草が生い茂った頃。ふと何かのきっかけで、あの猫のことを思い出した私は、あの小屋の裏をのぞいてみた。雑草を手で払って足を進める。その先の足元を見た。そこには、あの猫がいた。数ヶ月前、私たちが運んだポーズのまま。しかし、眼球は落ち窪み、皮膚はなくなり、所々から白い骨が見えていた。私は、その猫の状態をじっと、瞬きもせずにみつめていた。”怖い”とは1ミリも思わなかった。これは「死」のその先にある姿だと、自然に理解できた。そして、このまま時が経てば、猫は土に帰って、この土地の、もっと言えば地球の一部になるのだと、わかった。風が吹いた。もうないに等しい猫の白い毛が、舞って、空に消えていった。

 はっと、今に帰ってきた。小屋を見て、数秒間の間に、昔の記憶が蘇っていた。私は、そんなこともあった、いや都合よくいいところだけを覚えているのかもしれない、と思い直し、ふと空を見上げた。青だった。いや、正確には水色寄りの青かもしれない。太陽の光がその青に反射して、私の目に入った。眩しかった。そこでこんな考えがよぎった。もしも天国があるとするのならば(考え方は宗教によって違うと思うが)、それは、あんな色をしているのではないか。猫は還っていった。この表現が正しいのかはわからないが、小学生の私にははっきりとそう、わかった。「死」んだら還って、あの青に吸い込まれて見えなくなるのだ。天国があるとするのならば、それはこの眩しい青色なのだ。

 私は、なんだか少しだけ誇らしい気持ちになった。大切なことは、ここにあったのだ。あの小屋の裏にもう猫はいない。でも、ここに帰って来るたびに私は猫とこの青のことを思い出すだろう。それがわかっただけで、十分なのだ。もう一度だけ天を仰ぎ、そして家へ帰ろうと歩き出した。


NEXT 7月10日


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