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極めてまどろっこしい感情スタンスはやめてくれ

世の中に遠回しが充満し過ぎて嫌気がさしているかと思えば、その逆に120%のフラット感に一見みえるが、よくよく冷静に見るとそれこそ言葉の世界に120%漬かりきっていてフラットに見えているだけの人もいたりして、、、結局それを振り切ったところにいる人が超少数でその人達だけで何かを創るのは極めて低い可能性だってこと。

 この景色が正しい認知だとすれば、考えられるイシューの選択は二つ。

①その前提で自分をさらに追い込む

②そこを踏まえて超少数派以外の全てを背負うか?

どっちも同じことと、と言えば同じことな気もする。要はまだ外にベクトルが向いていて、内に内に、、、とベクトルを修正していかねばならない。

 外向きスタンスである限り答えがないのは過去の経験から痛いほど痛感している。

 こちらが押し出せば相手が引くし、こちらを消せば相手は浮かび上がる。この一体感という定義すら消えうる空間、いや、空間すら消えうる状態にしか完璧なる内向きスタンスは無くて。

要は欲しているものを欲している限りは、欲しているものは実は手に入らなくて、欲しているのだけれど欲するのを辞めた瞬間にすぐ目の前には必ずやってくる。

 量や時間をかけて、行動し勉強することも最低限必要なのだけれど、そこはスキルとノウハウのステージで、一番しなければいけないのは自分の思考パターンを捨て去り、視座をより広く、心底自然体に広くすることだ。

 そんでもってこの状態を無理なく保ってられてこそ新たな世界を創れるのだと思う。言わばスーパーサイヤ人の成り立てよりもスーパーサイヤ人のまま、日常を送れる感じ。そして日常を送れているという主観モードですら消しさったフラット状態に保たねばならない。ここでは『スーパーサイヤ人フラット』と呼ぼう(笑)

 コロナ渦中凄く気付いたことがある。『スーパーサイヤ人フラット』はコロナですら関係ないのだ。関係ないと言えば語弊があるが、コロナの拡大や恐怖は、問題でも課題でもない。さっきボールペンを落としたことやラインで誤送信をしたことと何ら変わりない。誰が何を言っているかすら、関係ない。どこで、たとえどんな地位のある奴が、何かを言っていたとしてもどーでもいいことだ。

それよりも、次何したいか?何をするべきか?何を仕掛けるか?そこに議論とモチベーションを合わせてワクワクすること、そして形を創ることの方がいたって楽しい。

 この境地で可能性同士のワクワクが掛け合わさった時、全く想像できなかった未来が生まれる。寧ろ未来しか生まれない。確実に生まれる。その未来は強烈な更にワクワクを生み出す。そこにまた可能性が吸い付いてくる。これこそが僕達だ。未来を生み出すのが僕達だ。過去と起きたことと外に時間を使うことは極めてしょーもない。

『時間が来たら、温めていきましょう、様子見て、計画を練ってから、〇〇をメドに、etc、、、』
全て、『まだ覚悟と自信が無いんです』ってしか聞こえねーよ。

 僕らはそんなことに時間を使いたいんじゃ無いんだ。

 言ってることが全てわかるという奴だけに言う『さっさと一緒にやっちまおう。全てこの手のひらの上で。そして俺の手のひらに全てを載せるから、貴方も載せる。だから貴方は私を載せてくれ。』

 この話がわかる奴『たまに人間に戻って乾杯しよう』




 




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