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『いのちは時間』

いのちは時間

 いのちの授業で著名な鈴木 中人さんは「いのちびと」という機関紙を発行しています。先日43号を読ませていただきました。この第43号に載せられていた作家・コラムニストの志賀内 泰弘さんの文章に目が止まりました。そこには『いのちは時間である』という医学博士の日野原重明さん言葉が紹介されていました。日野原さんは『心臓は生きるために必要だけど、そこに命があるわけじゃない。これから一番、大切なことを言います。命とは、人間が持っている時間のことです』とも言われていました。

 旧約聖書「コヘレトの言葉」の第3章に「時の詩」という言葉があります(NHK「こころの時代」で紹介)。

「時の詩」

天の下では、すべてに時機があり
 すべての出来事に時がある。
生まれるに時があり、
 死ぬに時がある
植えるに時があり、
 抜くに時がある。
殺すに時があり、
 癒すに時がある。
壊すに時があり、
 建てるに時がある。
泣くに時があり、
 笑うに時がある。
嘆くに時があり、
 踊るに時がある。
石を投げるに時があり、
 石を集めるに時がある。
抱くに時があり、
 ほどくに時がある。
求めるに時があり、
 失うに時がある。
保つに時があり、
 放つに時がある。
裂くに時があり、
 縫うに時がある。
黙すに時があり、
 語るに時がある。
愛するに時があり、
 憎むに時がある。
戦いの時があり、
 平和の時がある。

 『いのちは時間』という言葉、心に響きます。教育者である(故)山田暁生氏が以前、物事の締め切りについて話されたことを思い出しました。 

 山田氏は、スクールコミュニケーションとして学校内のいろいろな通信活動の本を数人で書いた時のことです。その本は山田氏が編集し出版社に送り、書店に並べられる本でした。

 原稿がテキストファイルでメールに添付され「山田さんの方で加除訂正をお願いします」と一言添えられていたり、期日までに届かず執筆者に再三メールをしたりと。そんな中で本が出来上がりました。

 最初に原稿を送ってくれた方は、病院で原稿を書き、締め切り前に奥さんがそのデータをメールで送ってきたといいます。予定よりだいぶ遅れましたが全員の原稿が揃いました。そのため、発行は数ヶ月遅れになりました。

 出版前に残念なことが起きたのです。その本が発行される直前に、病院で原稿を書いた方が亡くなったのです。

 奥さんから山田氏に「主人の仏壇に本を置きました」と連絡があったそうです。

 『いのちは時間』、そして『時間はいのち』だと、「いのちびと」第43号を読ませていただき改めて心しました。

  (やまびこ通信「かけはし」第181号より)