プレゼンテーション1-1

神のごとき ミケランジェロ Part 2

こんにちは。Naokiです。
前回に続いて、ミケランジェロの理想像を代表作を例にしながらまとめていきます。今回もよろしくお願いします。

身体のねじれが大好き

 ミケランジェロの代表作は、かつてのイスラエル王国の王様を表現した「ダヴィデ像」です。ミケランジェロ登場以前の彫像は、絵のような彫像でした。どこから見えても同じ、ただの立体でした。

 ミケランジェロは、絵のような彫刻をあまり好まず、彼は見る方向によって全く異なる印象を与えるスタイルを確立させました。それは身体に”ねじれ”を加えることです。マニエリスムと呼ばれる様式を追求していきました。その代表作が「ダヴィデ像」でした。ですので、彼の彫像は、前から後ろから左から右から、全方向から見るのが、ミケランジェロの彫刻の見方なのです。

 彼のねじれは彫像だけではなく、絵画にも描かれます。バチカンのシスティーナ礼拝堂に描かれている「最後の審判」もそのうちの一つです。

60歳で完成させた、専門外の大傑作

 ルネサンスは古代ギリシャや古代ローマの芸術をもう一度見返そうという革命です。古代では、裸体が究極の美と考えられていたので、彫像もすべて裸体像でした。それが中世に入ると隠すべきものと考えられ、芸術に裸体は表現されなくなっていく時代が続きます。そんな中、ルネサンスの真っ只中を生きたミケランジェロは、このタブーをぶち破る作品を、神聖なバチカンの礼拝堂に描き上げました。それが「最後の審判」です。

 数百体の裸体像で埋め尽くされた絵画は、「ここは風呂屋ではない」、と非難されました。これに対し、ミケランジェロは「この世で最も美しく真実に近いのは裸体だ」と主張したのです。当時のローマ教皇パウルス4世は壁画を取り壊すか、衣服を着せろとミケランジェロに迫りますが、ミケランジェロは断固拒否をします。権力に翻弄され続けたミケランジェロが、自分の芸術としての理想像を追求するために、権力に逆らったのです。
 そんな思いも儚く、ミケランジェロの死後、裸体に衣服を加筆されてしまいました。

自分の理想像を拒否されたミケランジェロによる逆襲

 1994年に、いくつかの衣服が取り払われる修復が行われました。壁画の右下には、ミケランジェロのこの作品を風呂屋だと批判した人物をモデルとする地獄の番人であるミノスが描かれていました。ミノスの腰布を除去すると、そこには、ミノスの体に巻き付いた蛇が、彼の性器に噛み付く様子が描かれていたのです。自分の作品が否定されたミケランジェロによる復讐でした。

建築家としての傑作

 気まぐれ教皇ユリウス2世のあとに即位したのは、レオ10世という、メディチ家のトップ。つまり、ミケランジェロとは少年時代を共にした幼馴染みが次の教皇となりました。気難しい性格のミケランジェロとは馬が合わないと感じていたところ、自分に従順な絵描きが登場しました。もう一人のルネサンスの巨匠「ラファエロ」です。それでも自分の芸術に対する理想像を追求したミケランジェロは、本業建築家としての傑作を作り出しました。カトリックの大本山「サン・ピエトロ大聖堂」のドームです。何度イタリアを訪れても、このドームには魅了されます。特に夜景は素晴らしいです。

 ミケランジェロは生涯独身でした。「魂は神へ、肉体は大地へ、残ったものは近親者へ」という言葉を残し、89歳で芸術家ミケランジェロは亡くなります。
 彫刻や建築だけでなく絵画でも、傑作を世に残したミケランジェロ。束縛に縛られながらも、自分の理想を追求していった姿はとてもかっこいいと思います。今回はミケランジェロについてまとめました。次回は、ルネサンスの3大巨匠の最後の一人、ラファエロについてまとめます。

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