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弱さを認められるって本当は強い。

世の中はいろんなバイアスで溢れてるんやろうな。

表面的にみてこの人はこういう人って勝手に決めない方がいいと思うんです。

接していく中でしかその人が何を考えて行動してるのか、何に重きを置いて生きているんかを知ることってできないと思うんです。

だからこそ見た目だけで見えてる部分だけで人を判断する行為は佛心宗で言うところの愚者の行為に当たると思うんです。

でも世の中はこの偏見や表面だけを繕うことが多すぎると思うんです。

何々人はこういうダメなところがあるんだと述べる人たち、お金や地位だけにとらわれている人たち、自分の考える価値観がさもみんなに当てはまる真実だと勘違いしている人たち、見た目だけにとらわれている人たち、他人のことだけを批判して自らを省みない人たち…

世の中がこういった偏見で溢れているからこそ私はきちんと人と接することで相手の立場に立って考えたいんです。こういった偏見とかを持っちゃう人は何を考えてそういう結論に至ったのか。もしかしたら人間の本能を理解してないのか、自分を美化しすぎてるのか、自分本位に気が付いていないのかなど相手の立場になって考えてみたいんです。

そのためにはやっぱり、自分と向き合うことってすごく大切やと思うんです。自分がどういう価値観で生きてるんか。今までどういう人生でどういう人たちと接してきたから今の自分があるんかとか考えることは大切なんですね。

で、結局は自分の弱いところやダメなところにも向き合うからこそ強くなるし、比較的客観的にみて、事実を自分の軸で曲げないようにきちんと見つめるから今を精いっぱい生きるだけの実力が付くんです。

だから自知ってものすごく大切なんですね。

このためには私の場合は自分でゼロから生み出すことはできなかったのでいろんな人の教えや知識を伝授してもらって行ったわけです。

今まで研究を積み重ねてきた人たちが公にこう生きたらいいんですよ。って示してくれてるものが探せばたくさんあって彼らの恩恵を授かっているわけです。

人間はしょせん100歳までしか生きられないのだから他人の失敗や教えを学びながら考えないと、とてもじゃないけどすべての経験を自らの身体のみで行うことはできないんです。

だから知識は大切だし、だからこそ読書や法話などを聞いて考え行動するべきなんですね。人間は同じようなことで悩むんだから。

今日の単語は敢然(かんぜん)です。思い切ってことを成すさまを指すようです。知識をつけて敢然と行動しましょうね。

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