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意思決定における覚悟と直感と確率の話

おっすー。
ヤスでーす。
ちーっす。

今回はフリーテーマの回だもんで、「意思決定」について書いてみたいっす。
改めて、四字熟語的な感じで「意思決定」って書くとやたら仰々しいっすけど、実際は誰しもが毎日行っていることで、要するに「どうするか決める」ってことっす。
実は俺っちなんかは結構優柔不断な方だもんで、レストランとかで品書に沢山美味しそうなものが並んでいるといつもついつい迷ってしまう性分っす。
だもんで、意思決定をすんなりとできない人の気持ちは、個人的には痛い程良くわかるっす。
そんな俺っちっすけど、意思決定が苦手なだけに、それについては前々から随分思い悩み、考えてきたっす。
そんな中で何となく自分なりに見えて来たことを書いてみたいっす。

まず、意思決定というものには必ず時間的な「期限」というものがセットで存在するっす。
この期限というものが非常に厄介で、それが何よりも意思決定を複雑怪奇なものにしていると言っても過言ではないっす。
何故なら、期限があるが故に、意思決定が否応なく自動的になされてしまうからこそ、「100%完全には物事を考え切る」ということが不可能になってしまっているんす。(例え時間が十分にあったとしても考え切る精神力があるかどうかの話も勿論あるっすけど、ここでは形式的な部分に着目して割愛するっす。)
しかも、その期限そのものでさえも、自分では設定できないことが多いのが現状っす。
例えば、とあるデパートで自分の好きな服のブランドが1カ月限定の「創業記念10%割引キャンペーン」を行っていたとするっす。
で、そのブランドでちょっと前々から気になっていたけど、「値段が高いなぁ」と思っていた服があったとするっす。
そうなると基本的にはこれを機に「買う」または「買わない」という二択の中で意思決定することになるっす。
でもここでポイントなるのが、期限っす。
つまりこのキャンペーンをやっている期間の間に「買う」という意思決定をしなかった場合、自動的に「買わない」という意思決定を強いられてしまう、ということになるっす。
更に別の要素として、他のお客さんがお目当ての服を先に買ってしまった場合にも、自動的に「買わない(というか、買えない)」という意思決定を強いられてしまうっす。
つまり、あらゆる要素を全て踏まえて完璧な意思決定を行うだけの十分な時間的な余裕を外部要因によって与えられていないままで、しかも期限が可変な状態で意思決定をしない限り、自動的に一方の結果を強いられてしまう、という残酷な仕組みになってしまっているってことっすね。
これが意思決定の本当に難しい所な訳っす。

で、その難しい中で意思決定をする上で大事になることが「覚悟」「直感」そして「確率」だと俺っちは思っているっす。
これらをある程度明確に捉えられると意思決定がしやすくなると俺っちは感じてるっす。

まず「覚悟」っすけど、これは物事を決める際に、どのような結果になっても(極端に言えば命を落としたとしても)絶対に納得することをベースに意思決定を行うことだと理解しているっす。
例えば俺っちにとって、最近流行りの結果にコミットするパーソナルジムに高いお金を払って通い始めることを決めるとしたらかなりの覚悟が必要になるっす。
でも、覚悟をしてお金を払った以上は、どんなにキツいトレーニングだってある程度は我慢するだろうし、その結果痩せようと、瘦せまいと、はたまた途中で放り出してリバウンドしようと、どんな結果になったとしても、当初の「高いお金を払って通い始めたこと」自体には納得した状態である筈な訳っす。
つまり、覚悟っていうのは結果ではなくその目の前にはだかるプロセスを完全に肯定して意思決定することなんすよ。
戦国の世の感じで言えば、「今、戦場に打って出る!」という時の心境に近いっす。
そういう意味で、すべての意思決定は覚悟ができてしまえば大概できる訳っす。

でも、俺っちを含めて多くの人間がなんでそう易々と意思決定ができないのかというと、逆説的には「覚悟が決まらないから」っす。
で、その根本は「情報が不十分だから」に他ならないからっす。
じゃあその情報が不十分な時にどう覚悟決めんだよ、って時に僕らが使うのが「直感」と「確率」な訳っす。

で、ここで「直感」って言われると「要するにヤマカンでしょ?」と思う方が多いと思うっすけど、まぁその通りっす。(笑)
でもヤマカンも馬鹿にしたもんでもないんすよ。
何故なら「直感」は別の言葉で言えば「これまでの自分の人生経験のデータベースから瞬時に検索してみて最も良い確率が高いと出た答え」だからっす。
裏付けや理由付けは取っていないものの、特に人生経験の多い人であればあるほど、その人の指向性には沿った結果である可能性は非常に高いっす。
要するに、AI的な「ディープラーニング」を人間という生体が行っているのに限りなく近い訳っす。
より多くの画像を読み込んだ画像認識AIの方がより精度が高いのと同じ原理っす。

ただ、この「直感」には当然ながら一定の弊害もあるっす。
例えば、「人間は歳を取れば取るほど保守的になる」というのはどこでも良く聞く話だと思うっすけど、これはつまり経験が多くなるにつれて直感の働く方向性が固定化されてしまうからに他ならないっす。
またその逆も然りで、若く幼い時にはデータベースが小さいが故に結果的に外れ値を引く可能性が高いっす。
要するに、小童の頃にプロ野球選手になりたい、パイロットになりたい、役者になりたい、はたまた征夷大将軍になってやろうと覚悟を決めた人のうち何人が本当にそうなったかという話っす。(ちなみに別にのぶのぶやおトヨを煽ってる訳ではないっす。(笑))
もしくは「この人は自分の運命の人に違いない!」とビビっと来た人のうち何人が本当に運命の出会いだったか、という話っす。
若気の至り」っていうのは、データベースが不十分な時の直感の限界を示したとても示唆のある言葉だと言えるっす。(自分も当然沢山やらかしてるっすけど、それについてはまた別の機会にでも。(笑))

さて、でそうなるとすべての意思決定を直感に基づいて行うのは、特にデータベースのサイズが不十分な時には、結構多大な危険性を負うことになるっす。
そこで出て来る概念こそ、「確率」っす。
情報収集、調査、裏取り、ロジックを組み立てる、他人に話を聞いてみる、他事例を調べる、関係者の承認や確認を取る、等々、手法や呼び名は色々あれども、すべて実質的にやっているのはたった一つ「良い意思決定ができる確率を上げる」という作業に過ぎないのが現実っす。
限られた期限の中でできることは少ないながらも、より目的に合った選択ができる確率を上げていく作業は、いわば迫り来る期限と自分の意思決定精度の間の鬩ぎ合いとも言えるものっす。

ただ、これにも当然ながら大きな問題があって、どこまで行っても精度が100%にはならないってことっす。
なので、いずれにせよどこかで一抹の不安(どんなに小さくても自分が望むのと反対の結果に触れてしまう確率の残存)を抱えながら覚悟を決めて意思決定する(または期限によって意思決定を強いられる)ことをせざるを得なくなる訳っす。
それ故に、「清水の舞台から飛び降りる」みたいな話っすけど、思いっきり決断して意思決定する必要があるんす。
それこそ、意思決定の難しさであり、巷で「胆力」と呼ばれるものの正体でもあるのかもな、と俺っちは思うっす。
だからこそ、俺っちは今日もランチのハンバーグ定食とカキフライ定食の間で揺らぎ続けている訳っすね、お後がよろしいようで。(笑)

以上っすー。
なんか長くなってしまったっすー。
今回はこの辺でー。
んじゃ、ほなー☆

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