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ブルーチーズが美味いと思う奴、一歩前に出ろ

随分昔、若い頃の話だ。
酒屋をやっている親類が話していたのを受け売りに友人に向かって得意げに「これ、ワインに合うんだぜ」と言いながら実は生まれて初めてのブルーチーズを口に入れた瞬間、口中で強烈な匂いと腐敗感が広がった。
あの不味さ、あのネガティブな衝撃は忘れない。

通ぶって言った手前吐き出す訳にもいかず、アルカイックスマイルそのままに飲み込んだんだが、心の中では大声でシャウトしていた。
「こんなもんが美味いっていう奴、一歩前に出ろ!」と。

皆のもの、のぶのぶである。暑くなってきたが、息災であるか。

かつての衝撃のブルーチーズ、今では好物となって時折夜の静寂のお供となっている。嫌いだったものがいつの間にか好きになっていた事、また逆の経験、皆もあるのではないだろうか。
時と共にうつろう好き嫌いや良し悪し、また世界を認知する五感の変化を軸に日々変わりゆくモノついて今回は考えてみたい。

人の幸・不幸を決めるモノは多々あると思うが、知らず知らずのうちに自分も世の中も変わっていっているという事を忘れ、一度成立させた自身の物差しが歓喜や悲鳴をあげさせている。
例えば、飲みの席で時折、否定的なニュアンスで「今時の若いモノは…」という話を聞く事がある。
ここには自身の物差しが世の中の変化についていっていない場合や、自分は間違っていないという精神の老化に伴う自己防衛を感じる。

先日、若者の「パパ活」について話を聞いた。
もちろん全員ではないがある程度の割合で10代後半あたりから30歳位にかけてのアクティブな活動らしい。これは今の若年層の恋愛観が以前より打算的、良い言い方をすると大人的・現実的になっているからという見方が出来る動きだそうだ。
前回のテーマ:嫉妬の時に書いたが、男子の中高生くらいまではスポーツマンで勉強の出来る奴がモテた。が、一部の女子は既に新たな恋愛観を持ち始めている。

これは20年位前までの情報のフローや価値観が大人と青少年では全く異なっていた時代と比べ、デジタルで情報や価値観が並列化された現代との違いが考えられる。
あと個の存在感覚が昔と比べて格段に分離された今では急激に変わってきているからなのかもしれんな。情報が個々人にカスタマイズされつつある今、推し活やバーチャル恋愛、結婚もアプリで成立させられる。

これらは一例に過ぎない。変化は全方位で進んでいる。かつて天気予報など見ず空模様と水の匂いで傘を持っていくかどうかを決めていたが今やアプリで確認する。目的地への経路、近くで何を食べるか、観光地で何を観るか、様々な所で「リスクの低い決めゴト」をし、意思決定を外部化しつつある。目的地までの街並みをキョロキョロすることもなくスマホの経路案内ばかり見たり、腹が減っているからではなく昼だからランチする等、内側の声を聞く機会は驚くほど減ってきている。

時折、大切じゃないのか、と振り返るのが冒頭のブルーチーズだ。
明らかな失敗なんだが、強い記憶と教訓を残し、気付くと好きになっていた自身の感覚の変化や成長を垣間見るのは嬉しい刹那時間だ。
こんな楽しい刹那時間を迎えるには自分の内外、その状況を振り返るきっかけになる強い記憶を様々な場面で仕込んでおくと良いのかもしれん。

仕込むものはたくさんある。特にまだ若い者たちよ。
好奇心に連れられる新たな趣味や挑戦、異性とのハラハラドキドキ、ガイドブックにない土地での人や出来事との出会い、タイトルだけで買う本、ジャケットだけ見て聞く音楽や映画、夢と情熱を燃やし取り組む仕事、友人との出会いと別れ…、などなど。
頼りない自身の直感に従い「これも縁」と感動に震え、傷を舐め、時が経って何かの拍子にふと振り返りを促された時、歩んできた道が愛おしく、またこれから切り開く道に興味も湧く。

ブームに湧くAIを飼い慣らせるのか、または飼い慣らされるのか、ネットの中でブルーチーズ体験が色々出来る様になるのは分からんが、本当に大切な情報は言語化されない、映像化されない所に静かに置かれ、いつかの振り返りの時まで待っていてくれる。きっとそうだ。

「やらかしちまったぁ!!」そんな記憶は宝物。
今回言いたい事は最後この一言でまとめておこう。

では皆の者、また会おう!

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