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「あのバンド、昔のほうが好きだった」と言えない

音楽が好きだ。いろんなアーティストが好きである。バンドも、ソロで歌うシンガーソングライターも、最近は韓流アイドルも。
彼らの活動歴が長くなればなるほど、過去(昔、とここでは呼ぶ)と現在の音楽性は異なってくる。川の流れのようなもので、彼らが若いころはまだ粗削りな衝動や感情のふくらみを作詞作曲にぶつけていくエネルギーがあり、上流の激しい流れを思わせる。しかし、年月を経ると、そのエネルギーはゆるやかな流れになることが多い。下流だ。同時に、彼らが経験を積み重ね、私生活も変化し、そうやって内側に含んできたいろんな要素は音楽性に幅を持たせる。年を重ねたアーティストの、昔よりもゆったりと穏やかな、いろんな可能性をはらんだサウンドもまた良い。
またそれとは逆のアーティストもいるかもしれない。若いころは静かな曲調が目立ったけれど、経歴を重ねた後のほうがタフな音楽になってきた、ということもあるかもしれないし、昔と全く変わらないスタイルを突き通す人もいるのかも。(わたしは音楽の専門知識がないので、言えることはこのくらい)

さて、本題へ。そんな変化を遂げるアーティストを前にして「昔のほうが好きだったんだよな~」と、うかつに言えない。親しい友達の前では言える。でもSNSでは言えない。曲を聴いているとき、ひとりで(昔のほうがよかったな~)と思うことはできる。でも、人前で堂々と言えない。

私の好きなアーティストを一部並べていこう。くるり、キリンジ、椎名林檎、東京事変。宇多田ヒカル。tofubeats。cero。フジファブリック。彼らに(昔の)をつけるだけで、ニュアンスは変わりますよね。「あ~あの頃の感じね」と、伝わる(?)人も多いのではないかと思う。
昔の椎名林檎、昔の宇多田ヒカル、昔のフジファブリック、昔のくるり、昔のキリンジ・・・。フジファブリック、くるり、キリンジあたりはメンバーの入れ替わりがあるから、昔と今が違うのは当然なんだけどね。

なぜ昔のほうが好きだと言えないのか?理由は二つ。

1.本人の目についてしまう恐れがあるから

私は基本的にツイッター(X)、インスタグラムは鍵アカウントにしている。好きなコンテンツに関する感想は好き勝手に書きたいから。ごく絞られた友人やフォロワーが見ている範囲で。
「昔の○○のほうが好きなんだよな~」と書いたところが、万が一本人の目に留まったら、本人は嫌な気持ちになるかもと思ってしまう。万が一でも好きなアーティスト(あるいは推し)を不快な気持ちにさせたくない、と思うあまり、わたしは鍵アカウントではないオープンなSNSでは、肯定的なことしか書かないようにしている。それもそれで本音なのか?って気はする。

でも、アーティストの中には、そういう投稿を見て「そうか、この人は昔のほうが好きだったんだなー、そういう意見もあるんだな」くらいに思う人も多いのかもしれない。ごまんとファンがいるアーティストだったらいちいち気に留めないかも。いや、あの気難しそうな人だったらちょっと嫌に思うかな?などと考えていると、やっぱりマイナスなことはなるべく書かないほうが無難か?と思い、昔のほうを称賛するつぶやきができなくなっていく。SNSに入り浸っているくせに、自分の意見を発信するのは憶病なんです。


2.昔のほうがよかったな~と思うアーティストが多すぎて、自分があまりに懐古主義のように感じられるから

これは本当に悲しいことで、年々新しい音楽を受け入れにくくなってきています。流行を追えない。今年32歳。はやりの音楽を覚えてみようと、Spotifyで今週のヒットチャートを聴いてみても、耳に残らず、心に刺さらず、なのである。
わたしは音楽を好きになるときは「心に刺さるかどうか」を重視している。重視しているっていうか、ばしっと好きになって、うおーいいな、思わずリピートしちゃうな、でも何故こんなにいいんだろう。と振り返ったときに、メロディか歌詞か、あるいはその両方かが、心にぶっ刺さっている感覚がたしかにある。

でも、それって20代に出会った曲に圧倒的に多く起きていた現象で、最近はなかなかそういった曲に出会えない。この前友達と音楽を流しながらドライブをしていた際、友人が「ねえ聞いたことある?私たちが生涯繰り返し聴く曲って、28歳までの間に聴いた曲の中に限られるらしいよ。」というようなことを言った。えー、それって事実だったら寂しいね。と私は返したが、振り返ってみると事実そのような気がして恐ろしい。昨日だって風呂場でルンルンと宇多田ヒカルを聴いた記事を載せたばかりではないか。
そんな自分に少し悲しさを感じます。


ここまで、2つの理由を挙げてアーティストの今昔を比べたくない、ということを書いたけど、わたしが一つだけなぜか心に引っかかっていることがあり、それに加えて述べたいことがある。
数年前、キリンジのライブ(そのころは弟が脱退し、複数人のバンド体制だった)に行ったのであろうファンの人が、「ライブよかった!キリンジは兄弟の頃が好きって人が多いけど、そんな人はわかってない。」とSNSでつぶやいていた。この一文が私は強く印象に残った。
なぜならわたしは、弟が脱退したあとのバンド体制のキリンジも、今のお兄さんがソロでプレイしているキリンジも、どれも好きなんだけど、やっぱり・・・。中学生のころから聴いていて、大学時代の思い出もしみついている兄弟体制のころのキリンジが一番好きだからだ。優劣をつけたいわけでなく、単純に、いちばんしっくりくるし、心にしみるからだ。スウィートソウルを流しながらベッドの上でゆっくりと意識を失うように死ねたら理想、とさえ思っている。

彼女は熱心なファンなのだろうなぁと思った。SNSでフォローしていたわけでもない、本当にただの通りすがりの人の意見を見た。それでも彼女の言葉はわたしの胸にひっかかりを残し、アーティストに対して昔のほうがよかったって、安易に言わないほうがいいのかなぁ。と思わせた。
あるいは、わかってない、と思われるのが癪だったのかも。私はプライドが高いので、この可能性は高いですね。笑

でも、わたしは一介のリスナーだから、昔のほうがいいけど今の曲も素敵、と言えたら、それで十分に配慮できているし、むしろそんな配慮なんてアーティストにいらないのではないか。100人いれば100通りの聴き方があろう。
20年以上インターネットにずぶずぶにはまっていて、いまだに感想の一つも自信をもって発信できないわたしである。