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無駄と許容

お久しぶりーふ
ふと思いついたので書きます

無駄を楽しめない人は人生を楽しめない

なんかこんな感じの主張を見たことがありませんか?
僕はたまに見かけるんですけど見かける度に
「たしかにそうだよなぁ…」と思います。
でもそれと同時に「でも飛躍しすぎじゃね?」とも思います。
なので今回は自分の中で腑に落とすために考えをつらつらと書いていきます。

①人生における無駄ってなに?
結果に向かって最短ルートで進むことが無駄のない進行だとすると、生まれたからには必ず死ぬという結果が待っている人生において無駄をなくすということは色々な過程をすっ飛ばして死に向かうことだと考えられます。
それくらい無駄のない人生を追い求める事って虚無だと思うし無駄を感じた瞬間のストレスを考えるとそれはもう膨大な量になると思います。

②無駄を楽しむってなに?
無駄を楽しむっていうことは普通に考えたら無駄なことを、別の視点から考えて何かを得ることだと僕は考えています。
無駄とは役に立たない余計なことです。
要は「あ、これ何も役に立たないな」と感じたらそれはあなたにとって無駄なことになります。
何かが起きた瞬間から無駄と気付くことがあれば後から無駄だったと気付くこともあります。
つまり自分が無駄だと感じたらそれは無駄になってしまいます。

③無駄から得られること
無駄からはたくさんの気付きを得ることができます。
例えば道が渋滞しているのなら普段は意識して見ることのなかった周りの風景を見ることが出来るる。渋滞中にどこを走ればスムーズに進めるか、今後に活かすことが出来る渋滞中の情報収集など渋滞だけでもこれくらいはざっと出てきます。
他にも待ち合わせに相手が遅刻すると連絡が来たら待ち合わせ場所の周辺を散策したり、遅刻しないためのアイデアを捻り出したりすることが出来ます。
要するに転んでもタダでは起きない精神ですね。

④ありのままを許容する
思い通りにいかなかった時に不貞腐れたり怒ったりしてそれを無駄と決めつけずに、まずは起きたことの全てを許容してそこから何をするか考える。
起きたことは変えられませんが起きることは変えられる可能性があります。
まずはありのままを許容出来ないと何も始まりません。

⑤人生を楽しむコツ
人生とは思い通りにいかないことの連続、というかほぼ思い通りにいくことはないです。
そんな人生を楽しむコツは「ただありのままを許容する」この一点だけだと思います。
自分はこうあるべき、相手はこうあるべき、世界はこうあるべき、そう思って自分の思い通りに世界を書き換えられる能力がある人は例外です。
まあそんなやつはいないと思うので何かあったらクヨクヨしないでありのままを許容して行動してください。
それが楽しむコツです。


今回もスッキリしたのでこれにて終わりということで
お疲れ様でした。

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