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幸か不幸か
どうもみなさん、お元気でしょうか?
今回は幸か不幸かということで僕が思う幸せと不幸せについて書いていきます。
まず先になぜこのテーマで書こうと思ったのかについて説明します。
みなさんの周りには
「幸せになりたーい」
「僕は不幸だ…」
そんなニュアンスのことを言っている人がいますか?
僕の周りには不幸だのなんだのと言う人がいました。
そんな時にその人について考えたことが今回この記事を書くに至るきっかけとなります。
幸せって何?
みなさんにとっての幸せってなんですか?
これまた漠然とした質問で、いきなり言われたら何って言われてもな〜って僕でも思います。
この幸せというものも人の数だけあります。
そもそも人の感覚、主観によって決まるものはほとんど人の数だけ存在します。
なので他の人と幸せについて比較することはとても不毛なことなのです。
比較が成立するとしたらその人と全く同じ細胞で全く同じ環境で全く同じ行動をしている人くらいでしょう。ほぼ無理です。
不幸って何?
幸せを他の人と比較することが無駄なことであると分かりましたね。
じゃあ不幸はなんなんだってばよ?そんな声が聞こえてきます。
不幸とは幸せではないことだと僕は思います。
文字通りですね。
なので今この世で生きとし生けるものは皆幸か不幸かに分かれています。
真ん中なんてありません。
幸と不幸の大小しかありません。
幸か不幸か
ここで僕のかなり偏った持論になりますが、不幸とは幸せに気付けなくなった状態のことをいいます。
どういうことかを説明するために幸せの大小を数字で表現します。
この数字が小さいほどありふれた幸せになります。
最初は1の幸せに気付くことができた人がいたとします。しかし5の幸せがその人にとってのありふれた幸せになるころにはその人が気付くことが出来る幸せは5から上の数字にになっていることでしょう。
下限が釣り上がっていくに連れて今まで気付けていた幸せに気付くことができなくなっていくのです。
これ、何が言いたいのかというと何かを当たり前だと思った瞬間からそこに対する感情が薄れていくんですね。
当たり前の下限をどんどん釣り上げることは無意識に出来ることが増えて、より高次元なことをするための下地になります。なので別に悪いことじゃありません。何かしらの競技をしている人にとってこれはとても大切なことです。
ただこれを幸せに当てはめてしまうと今まで気付けていた幸せに気付けなくなってしまうわけです。
「上ばっか見るんじゃない!」
「下を見ても何もないぞ!」
こんなニュアンスの言葉を聞くことがあるかと思います。
僕から言わせて貰えば上も下も関係ありません。ただ前を向いて生きていけばいいのです。
貴方の目に映る世界は貴方だけのものです。他の誰があなたと同じ世界を見ることができるのでしょうか?
等身大の自分を愛し、ただ自分の世界をしっかりと見つめる。それだけでいいのです。
そしてそこにあるたくさんの幸せに気付いてあげてください。
以上です。今回も駄文にお付き合い頂きありがとうございます。
またなにか思う事があれば書いていこうと思います。それでは
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