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もう届かないファンレター ~ 若林工房に寄せて

 普段はまず買わない雑誌「Forbes」の11月号を読んでいる。特集記事の「『カルチャープレナー』誕生!」に惹かれたからだ。

 カルチャープレナーとは文化起業家のこと。地方の伝統文化を、最新の技術やデザインを駆使して世界に発信する、若い起業家たちが何人も紹介されている。卓抜なビジネス・センスや経営手腕をもって、古来から伝わるものを「カネ」にする人たち。その姿に感心するやら、羨望の念を抱くやら、大いに刺激を受けつつページを繰っている。

 読みながら、私はある起業家に思いを馳せている。昨日(2023/9/30)をもって業務終了したクラシックCDレーベル、若林工房の代表を務めた若林忠嗣氏だ。

 氏は富山県魚津市在住の音楽愛好家と紹介されている(参照:トヤマジャストナウ No.207-1 2005.8.3)。ピアニストのイリーナ・メジューエワの演奏に惹かれ、彼女の音楽活動をCD制作で支援するために若林工房を2002年に設立した。

 以来、メジューエワのみならず、ヴァレリー・アファナシエフ、コンスタンチン・リフシッツ、中野振一郎らの名盤を次々と制作し、多くの専門家やファンを楽しませてくれた。また、氏が運営に深く関わっている魚津の新川文化センターを、メジューエワのCDの録音会場として提供もしている。

 それだけでない。ネットで調べてみると、若林氏は地元企業の経営者として同地の経済発展に貢献された名士で、富山のクラシック音楽振興に尽力されていることが分かる。地方創生の時代を象徴する、まことに意義深い活動を可能にしているのは、氏がこれまでに築いてきた潤沢な資金と、幅広い人脈であるに違いない。

 CDレーベル代表としての氏の位置づけは、パトロンというべきものなのだろう。これまでメディアに登場されることはほとんどなかったので、レパートリーやアーティストの選定はプロデューサーらスタッフに任せ、あくまで黒子に徹しておられたのだろうと推測する。数年前から、メジューエワのCDは神戸の日本ピアノサービスが立ち上げたビジンクラシカルから出るようになったが、その内容も、ジャケットデザインも、若林工房で確立した路線がそのまま踏襲されていることからも、それは窺える。

 だが、インターネットで知った氏の活動ぶりを見るに、CD制作・販売以外にも、地元の人たちの暮らしの中にクラシック音楽を、それも良質の音楽を届けようと、精力的に数々のアクションを実行されていることが分かる。凄まじいまでの情熱と強い意志を感じない訳にはいかない。

 その手法そのものは昭和から平成の時代を感じさせはするが、地方で文化と経済つなげ、それによって日本を盛り立てようとする問題意識は、Forbsで紹介された若いカルチャープレナーたちのそれと共通している。その意味で、若林氏もまた、紛れもない文化起業家なのだと思う。

 同時に、若林氏の「セカンド・キャリア」の築き方にも興味を覚える。

 50代からのセカンドキャリア設計セミナーなどに出ると、これまでは家族のため、会社のために働いてきたのだから、第二の人生を悔いなく生きたいなら、本当に好きなことをすべしと必ずアドバイスされる。子どもの頃にやりたかったこと、若い頃に一度は諦めたことでもいいから、再チャレンジすべきと。

 若林氏は、それを見事に実践されているのだ。氏が若林工房を設立したのは50代後半の頃のようで、本業の会社経営は継続しつつ、セカンドキャリアとして、自分が愛してやまない音楽、それも才能に惚れ込んだメジューエワの音楽を支援するためにレーベルを創られたのだろう。

 それは一面、道楽として始めた事業と見ることも可能だろうが、若林工房からリリースされたCDを聴いて、どれほど多くの聴き手が豊かな音楽体験、人生体験を得られたかを考えれば、それが立派な社会貢献であることは論を待たない。

 かく言う私も、若林工房から計り知れないほどの恩恵を受けた一人である。

 音楽ファンとしての私の人生を変えたと言っても過言ではない、生きていく上で欠かせない重要なアルバムがいくつもある。生きていて良かった、このアルバムがあったから生きていられた、と思えるようなアルバムが。そして、一介のファンでしかない私に、CDのライナーノート執筆の機会を与えて下さったのも、この若林工房だった。このレーベルから受けた恵みがどれほどのものであるか、いくら言葉を尽くしても語り切れないほどだ。

 そう考えると、若林氏が歩んだセカンドキャリアは、ただ自分の好きなことをやったというだけでなく、それをもってたくさんの人々の人生にあたたから彩りを与える、尊いものだったと言える。

 このように、カルチャープレナーとして、そして見事なセカンドキャリアを築いた若林氏を、私は心の底から尊敬する。カネも、人脈も、人望もない私には絶対無理だけれども、その人生に対する姿勢だけは見習いたいと憧れている。

 若林工房を創り、素晴らしいアルバムを数多く届けて下さった若林氏には、ただただ感謝あるのみだ。

 若林工房のカタログを飾った演奏家、制作者からも、若林氏に深い感謝の意が伝えられているに違いない。氏がレーベルの代表であることによって、彼ら彼女らはは自分のやりたい音楽を奏でることに専念できたし、セッション、ライヴともに、最良の状態で演奏に臨むことができていたはずだからだ。マーケティングという観点から見れば、そのビジネスモデルは地味で慎ましいものだったかもしれないが、音楽家と制作者が妥協することなく良質の音楽を作り続けられる、良心的なレーベルとしての位置を守り続けていたことは称賛してもしきれない。

 しかし、残念ながら、若林工房はもう存在しない。感謝の言葉は、まだ会社があるときに、HPのメールフォーム経由でちゃんと伝えるべきだった。そんなことをしたところで、私の自己満足にしかならないのだけれど。

 とは言え、これまで入手できたディスクはまだ私の手元にはあり、これからも繰り返し聴くことができる。そして、メジューエワのCDはこれからもビジンクラシカル・レーベルからリリースされ、聴くことができるはずだ。これからも彼女の演奏をリアルタイムに聴き、その成熟と深化を目の当たりにしながら生きていける。その希望が、喪失の寂しさを紛らわせてくれる。

 最後に、特に心に残っている若林工房のアルバムを挙げておきたい。

 まず、ヴァレリー・アファナシエフが弾くシューベルトのピアノ・ソナタ集。2005年、浜離宮朝日ホールでのライヴ録音だ。

シューベルト/ピアノ・ソナタ第13,14,16番 ~ アファナシエフ(P) 2005年東京ライヴ

 アルバム冒頭の第14番を初めて聴いたときの衝撃は、今も忘れられない。

 それはまさに驚天動地の音楽だった。シューベルトの音楽がこれほどまでにデモーニッシュで、底知れぬ深さを孕んだものだとは不覚にも気づいていなかった。アファナシエフという音楽家の怖ろしさにも。

 同時に、アファナシエフが弾く14番は、私にとって「救い」となった。アルバム発売当時、体調を崩して精神的に参っていた。このどこまでも破滅的な音楽に心を震わせながら漆黒の闇に沈み込みんでいると、とめどなく涙を流さずにいられなかった。しかし、聴き終えると途轍もなく大きなカタルシスを得て、むしろ気持ちが鎮まったのだ。シューベルトの音楽こそ、私の人生になくてはならない最も大切なものの一つだと感じた。

 この鮮烈な「出会い直し」以降、私はシューベルトの音楽を自分のど真ん中に置いた人生を生きている。今、私が生きていられるのは、シューベルトの音楽が傍にあるからだと確信している。その意味で、大袈裟ではなく、このアルバムは「命の恩人」である。

 そして、メジューエワ。

 どれもこれも濃密な思い出があって全部挙げたいくらいだが、ショパンのピアノ・ソナタ第3番を収めたアルバムが忘れられない。

ショパン/ピアノ・ソナタ第3番ほか イリーナ・メジューエワ(P)

 当盤が発売された2010年の春、母が亡くなった。その何ヶ月後に、横浜で開かれたメジューエワのショパン・リサイタルに足を運んだ。そのときに聴いたノクターンや、ソナタ第3番の演奏は、乾ききった私の心に水を注ぎ、凍りかけていた血をあたためてくれた。そのときの感動をほぼそのままの形で再現してくれるのが、このアルバムでのソナタの演奏だ。レコード芸術の月評で、今は亡き濱田滋郎氏が感動的な評を寄せておられたのもまた忘れられない。

  (ピアノソナタ第3番の)第1楽章の第2主題を、彼女は何か、不思議な幻の鳥のように歌う、と私は感じた。と同時に、はからずも、亡くなった私の妻が、裏の山林に来るウグイスと、いかにも幸せそうに"話のできる"人であったことを思い出した。論評に個人的なこと、しかも感傷的なことを持ち出すのは違反であり「罪」でさえあることを知りながら、私はあえて書く。なぜなら、このソナタを弾いて私にそのような想いを浮かばせた人はメジューエワただ一人であり、とすれば、それもひとつのデータとなりうる、と思うからである。

濱田滋郎氏 レコ芸2010年10月号p.121 

 まだほかにもある。メジューエワというピアニストの真価を思い知らせてくれたベートーヴェンの第1回チクルスを始め、シューベルトの作品集、ショパンのノクターンやマズルカ、バラード、チャイコフスキーの「四季」、「展覧会の絵」(複数種あり)、ロシア・アヴァンギャルド作品を集めた「ミューズと前衛 ~革命前夜のロシア・ピアノ音楽」、リストの「巡礼の年」、いくつかのライヴ・アルバム、そして光栄にもライナーノートを書かせて頂いたバッハの平均律、モーツァルト、2018年の京都ライヴ。実演を聴いたライヴもいくつかCD化された。挙げ出したら、止まらない。

 メジューエワというピアニストもまた、私にとって大切なかけがえのない存在であり、私はこういう音楽を聴くために生まれてきたのだと、彼女のピアノを聴いているといつも思う。

 そのほか、リフシッツや中野振一郎のアルバムにも思い出深いものがあるが、キリがないので、ここで止めておく。

 改めて、一人のファンとして、そして、ささやかながらCD制作にも関わらせて頂いた者として、若林工房と若林忠嗣氏に、心の底からの深い感謝を。

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