ワーホリでカナダに行こうと思ったわけ【非常識なカナダワーホリ英語旅】
どうも、内藤獅友(@Naikel0311)です。
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このnoteは【TOEIC280点男の非常識なカナダワーホリ10ヶ月英語旅】シリーズの一部となっております。
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目次
プロローグ&自己紹介
【カナダ準備編】
ワーホリでカナダに行こうと思ったわけ←このnoteはココです
▶︎語学を伸ばすことに決める
▶︎ネイティブしかいない環境へ
▶︎縁を信じてカナダに決めた
ビザ申請!所持金20万円&アフリカ帰りはダメ?
【エドモントン編】
バンクーバーで飛行機逃して空港でお泊まり
TOEIC280点がいきなりバイト探した結果
ネイティブだらけの皿洗いで泣きそうになる
英語出来ないのにカナダ人彼女が出来た
マイナス十五度で凍死寸前
ルームメイトに騙されてホームレスになっちゃった
【バンクーバー編】
バンクーバー初日に入ったクラブで大失敗
430ドルでタワーマンションに住めた方法
英語伸ばしたいならバンクーバーじゃあかん説
バンクーバーで一番危ないストリートに夜中に行ってみた話
ウイグル人との危険すぎるワンナイトの話
マリファナの日がやばすぎた話
大学院奨学金ほぼ決まってたのにアフリカに戻ると決めた
終わりに
目次からそれぞれの章にリンクで飛べるようになっております。
*ワーホリでカナダに行こうと思ったわけ*
2014年の年末、僕はルワンダで2度目の年越しを迎えようとしていた。
2013年ルワンダの田舎にて
大きな季節の違いが無いルワンダは、気候は夏から秋に変わるちょっと手前に似ていて、25度前後の気温と、カラッとした気持ちの良い暑さの国だった為、年末の雰囲気はあまり感じずに「日本は今頃寒いんだろうなぁ」とちょっと俗世界からはみ出した感覚でいた。
しかしながら、青年海外協力隊としてこの国にきていた僕は、任期が2015年3月で終わり強制帰国となる為に、その後の方向性だけでも決めておかなければならなかった。
この頃の僕の想いをまとめるとこんな感じだ。
・アフリカにはずっと関わっていたい
・でも何がしたいかは具体的に決まっていない
・とにかくスキルを磨きたい
それぞれ解説をしていくと、「アフリカにはずっと関わっていたい」はルワンダだけではあるが、アフリカは大好きになった。できればずっと現場レベルで関わっていきたいと強く感じていた。
「でも何がしたいかは具体的に決まっていない」は、とはいえ心の底から湧き上がるほどに「コレがしたい!」という想いではなかった。
「とにかくスキルを磨きたい」は、協力隊としての活動期間、本当に現地の人の為になったといえる事ができたと胸を張っていえることはほとんどなく、語学を始めとして全ての自分のスキルの低レベルさに無力さを覚えていた。
▶︎語学を伸ばすことに決める
そう、特に「語学」に関しては、ルワンダは英語が公用語の国であり、2年間もいたんだからさぞかしペラペラになるだろうと僕自身思っていた。結論からいうと、特定の仲が良い人とは意思疎通の助けを借り、なんか英語で会話ができていたが、初対面の人やネイティブレベルの人とはいまだに会話がままならなかった。
これほどまでに僕の英語力が伸びなかった理由の一つは、ルワンダの人達、というかアフリカ人は基本公用語とは別に、現地語も話すので、バイリンガルやトリリンガル、またはそれ以上の言語を使いこなす人がザラにいた。
その為、僕の英語力が低くとも、「ニュアンスで理解する力」が圧倒的に高い彼らは、ネイティブの人には決して伝わらないような英語力でも、すぐさまに感じ取ってくれて、ある程度の仕事なら普通にこなせてしまっていたのである。まあ、言い訳だけれどもね。
しかし、時には政府の人達や国際NGOの人達と会話をする時があり、その際に僕の英語力が低い事が分かると、提案内容とは関係なしに相手にされなくなる、なんて経験もして苦汁を嘗めたことも何度もあった。あれは今思い出しても悔しいなぁ。
今回は青年海外協力隊という立場で、JICAさんにおんぶに抱っこ状態でなんとかやってきたが、一生アフリカを宣言してしまった身としては、語学の壁なんかにぶち当たっている場合じゃないのだ。「語学が苦手だからやらない」は言い訳である。「語学が苦手でもやれるような方法」を考えて実践しなければ。
そう考えるようになっていた。
▶︎ネイティブしかいない環境へ
年が明けてからも、人生で一番年号が変わったことを気に留めずに、とにかく「最短で英語を習得する方法」を考えまくっていた。
そして一つの考えにたどり着いた。
「ネイティブレベルの人しかいない環境にいこう」
自己分析を重ねた結果、自分は基本必要に迫られないと本領を発揮しない人間であることがわかった。余談だが、アフリカで経営者をしている今だって、あえて会社からは一切給料をもらわずに、明日の生活も今日の仕事で変わってくる状況を敢えて作っているからこそ、死ぬ気でビジネスモデルを考えたり、その日のうちに仕事を終わらせたり出来ている。金が無くても意外と生きていけるということもここ数年で学んだ。
そういう自分はきっと「英語を話せないと死ぬ」くらいの環境に行けば必死で英語を習得しようと本能がするはずである、と考えた。
次に手段だ。どうやってその環境に飛び込もうか。
語学学校は「金がかかる」と「集団行動が極めて苦手」という理由で却下した。調べてみるとワーキングホリデーという制度がある事を思い出した。
ワーキング・ホリデー (英語: Working Holiday)とは、2国間の協定に基づいて、青年(18歳〜25歳または30歳)が異なった文化(相手国)の中で休暇を楽しみながら、その間の滞在資金を補うために一定の就労をすることを認める査証及び出入国管理上の特別な制度である。
出典:Wikipedia
僕は(当時)28歳。まだこの制度が使える。調べてみると、イギリス、カナダ、オーストラリアなど、ネイティブ英語の環境に行けそうな国もいっぱいあるじゃないか。よし、決めた。ワーキングホリデーで英語旅をするぞ。
▶︎縁を信じてカナダに決めた
それから数日後、まだどこの国に行くかも決めきれていなかった自分は、ルワンダで一番の友達であり、2年間丸々一緒に働き続けた仕事仲間であるフランソワにこの件を相談してみることにした。
左がフランソワ
僕
「君には僕が全く英語を話せない頃から接してもらっていたから、本当に感謝しているよ。アフリカで今後もずっと働けるように、英語のレベルをもっと上げたいと思って、カナダかイギリスかオーストラリアを検討しているんだ」
フランソワ
「いいじゃないか!実は僕の昔の友人が今カナダに住んでいるんだよ。もしかしたら色々助けになってくれるかもしれない。連絡してみるよ」
と、なんとも縁を感じる話が出てきた。僕はルワンダに来てからは特に、不思議と思えるほど様々な縁に恵まれた。それからは、少しでも縁を感じる事には自ら積極的に近づくようになっていた。この話を聞いた時に僕の中では「よし、カナダに行こう」ともう心が決まっていたのだ。
その直感は正しく、後日フランソワから「彼の家に泊まってもいいよって連絡が来たよ!日本人も全然いない町だから英語も伸びると思うよ」という報告を受けた。
この決断が、まさかあのような事件に繋がるとは、この時は微塵にも感じていなかった。
このエピソードのポイント
*自分の今の気持ちと将来の想いを徹底的に絞り込んだ
*目的を自己分析と照らし合わせ達成する方法を考えた
*手段が決まったら友人に相談した
*縁を一番に優先して決断した
人生賭けてアフリカで活動中ですが、ご飯を食べないと死んでしまいますので、いただいたサポートは僕の燃料として大切に使わせていただきます。