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チベット仏教の法脈を継ぐ阿含宗

このnoteは下記について書きました。

  1. 阿含宗開祖はチベット仏教の正式な法脈を継いだ最上位のラマ僧である

  2. 伝法灌頂のあれこれ:阿含宗開祖とダライ・ラマ法王は兄弟子・弟弟子の関係についてなど

  3. ペマ・ギャルポさんの関係者に伝えたい。ペマさんの証言を書籍化してください!

1は法脈、血脈の継承という、ちょっと難しい話です。阿含宗開祖が霊的にチベット仏教界の正統な継承者となった、という話です。
2は阿含宗開祖がチベット仏教界の当時のトップ(ダライ・ラマ法王に仏法を伝授する立場の大阿闍梨)から伝法灌頂を受けたときの話です。
3はチベット文化等々の専門家として昔から有名なペマ・ギャルポさんの関係者さんに伝えたいことです。
当時の資料を見ると、通訳あるいはダライ・ラマ政庁から阿含宗に派遣されてきた人物としてペマさんの名前が度々出てきます。
関係者さんがこれを読んでくれたなら、ペマさんがお元気なうちに、証言を残しておいてください。そして書籍化してください。阿含宗に書籍発売の宣伝に来てください。
どうかお願いします、というボクの個人的なお願いについて書きました。

結論だけを知りたい方は以上で終了です。
各々の事柄に、もうちょっと読んでみてもいいかな?という方がいらっしゃいましたら、続きを読んでみてください。

阿含宗開祖はチベット仏教の正式な法脈を継いだ最上位のラマ僧である

阿含宗開祖はチベット仏教の三種類の流派から仏法の法脈を継承しています。
1.チベット仏教ニンマ派。1983年(昭和58年)8月
   法号:一切万霊守護金剛
   ダライ・ラマ政庁代表ペマ・ギャルポさんより
   詳細説明を含むご挨拶あり

阿含宗公式ページより

2.チベット仏教ニンマ派。1988年(昭和63年)10月
   阿闍梨の位を授与。
3.チベット仏教サキャ派。1993年(平成5年)11月
   チベット仏教界の最高位「金剛大阿闍梨耶」を授与
   法号:智勝光明大覚者
   金剛界、胎蔵界の両部の伝法灌頂を受ける
   瑜伽タントラ金剛界血脈相承者の第42代目となる

阿含宗公式ページより

4.ブータン仏教(チベット仏教カギュ派)。2010年(平成22年)6月
   チベット仏教カギュ派の伝法灌頂を受け、法脈を相承
   法号:智勝語自在勝法幢(王者の説法をする仏法守護者)
   ※このnoteではブータン仏教については割愛します。

阿含宗公式ページより

法号というのは弘法大師空海でいうところの「遍照金剛」に該当する名前です。
チベット仏教に詳しいけれども、阿含宗は全く知らないという人が見たら、ビックリ仰天の内容だと思います。
1983年のペマ・ギャルポさんのご挨拶を抜粋、要約すると、
当時のニンマ派の総本山の法主であり大座主である通力・法力が非常に高いことで有名な僧侶が、わざわざ、このために来日して法を伝授し、法衣を授けること。
この僧侶が阿含宗開祖が法脈を継ぐのにふさわしいと判断した。
1200年来伝わる「秘経」も授与する。
そして「もちろん、ラマとして。外国人として、日本人として初めての事であり、日本の仏教史上でも前例のないことであります。
(※ゲシェという学問上のラマになった日本人ならば存在する)
ラマとして、文字通りチベット仏教の一番由緒正しい法統・法脈を受け継ぐことになるわけで、それだけに日本の仏教にとっても非常に深い意味があります。」と語られました。

阿含宗開祖はそれまでの観音慈恵会に代わり、1978年(昭和53年)に阿含宗という独立した宗派を打ち立てました。
そのことに反発する日本の僧侶から、阿含宗開祖は法統・法脈を受けていない等々の批判・非難を受け、伝法灌頂を行った僧侶本人までもが自分は授けていないと言い出すような状態となりました。
その時、すでに阿含宗開祖と交流があったダライ・ラマ法王がその状況を知ることとなり、そして高い霊能力・法力を持つチベット仏教界の大阿闍梨たちが、だったらチベット仏教界が法統・法脈を授けようという決断に至ったわけです。

チベット仏教の伝法灌頂を受ける

弘法大師空海が受けた伝法灌頂

日本の仏教史上、ガチな伝法灌頂を受けたことで有名な僧侶がいます。弘法大師空海です。その時のことを空海本人が語った事柄が今でも伝えられています。
弘法大師が唐で伝法灌頂を受けたとき「投華」という目隠しをして曼荼羅に花を投げ、花の落ちたところが自分の縁がある仏様であるという儀式を行いました。この時、弘法大師が投げた花は曼荼羅の中心、大日如来のところに落ちました。
辺境のよくわからない国からやってきたポッと出の田舎僧侶に恵果阿闍梨が伝法灌頂をして、しかも投げた花が曼荼羅の中心に落ちるなんて、そんなことありえないし許せないという僧侶の反発があって、合計3回やり直して花を投げたけれども、それがすべて曼荼羅の中心に落ちたということで、反発した僧侶たちもさすがに黙るしかなかったという逸話です。これは帰国後に弘法大師が語ったこととして、今でもお話が伝わっています。
例えば、この経緯が書かれてるおすすめ書籍の一冊はこちらです。

阿含宗開祖とダライ・ラマ法王は兄弟子・弟弟子の関係

「それを自分もやったんです」

1993年(平成5年)11月にチベット仏教サキャ派の伝法灌頂を受けた阿含宗開祖は、そのように語りました。
曰く、自分も目隠しをして曼荼羅に花を投げた。

阿含宗開祖「花は中心に落ちたそうです」

それを聞いていたボク「おお~~!!!」
それを聞いていた他の会員信徒の皆さんの大きな拍手。

このとき、伝法灌頂を行ったチベット仏教界の僧侶は、当時チベットに3人いた大変な霊力・法力を持った大阿闍梨のひとりで、ダライ・ラマ法王に法を伝授する立場の方です。

この時点で、ダライ・ラマ法王には金剛界法の伝法灌頂は済んでおり、胎蔵界の伝法灌頂は行われていませんでした。

そして、阿含宗開祖には金剛界と胎蔵界の両界の伝法灌頂が行われましたので、このチベット仏教界の偉大な大阿闍梨を師匠として、金剛界法についてはダライ・ラマ法王が兄弟子、阿含宗開祖が弟弟子となり、胎蔵界については阿含宗開祖が兄弟子となり、ダライ・ラマ法王が弟弟子となる、そういう関係になりました。

ちなみに、その後、ダライ・ラマ法王が胎蔵界の伝法灌頂を受けたのかどうか、末端の雑魚キャラ阿含宗会員は、何も知らないです。

瑜伽タントラ金剛界血脈相承

瑜伽タントラ金剛界血脈相承というのは、初代が大日如来、第2代が金剛薩埵で始まるチベット仏教界の金剛界法の正統継承者の系譜です。例えれば、仏法の教えの正統なる継承者をしるした家系図のようなものでしょう。

阿含宗開祖に伝法灌頂をした大阿闍梨(つまりダライ・ラマ法王に仏法を伝授する人)が第41世、阿含宗開祖が第42世となります。
この血脈相承を受けたチベット人以外の外国人は、もちろん阿含宗開祖が史上初となります。

金剛大阿闍梨耶の僧位を拝受

そしてチベット仏教界から僧侶としての最高位の位「金剛大阿闍梨耶」を授かりました。ただの「阿闍梨」でなくて「阿闍梨」。
「耶」という文字が入ります。
この「耶」は教師、導師、仏様に代わって教えを説く者という意味が含まれているそうです。

阿含宗開祖がご遷化(お亡くなりになること)して以降、我々阿含宗会員信徒は「南無最勝金剛大阿闍梨耶靖雄大覚尊」と唱えて拝むのですけれども、ここに含まれている「金剛大阿闍梨耶」という部分は、この時にチベット仏教から授かった位に由来しています(たぶん)。

伝法灌頂拝受にいたる経緯の振り返り

そもそもの話は、阿含宗開祖が、とある真言宗僧侶から伝法灌頂を受けたのだが、後日になってその僧侶が伝法はしていないと言い出したことに始まり、そこにチベット仏教界が乗り出してきて伝法灌頂や阿闍梨耶の位の授与になったという経緯を書きました。

「この伝法灌頂を受けたあとでは、わたしが過去に真言宗から受けた伝法灌頂は、なるほど確かに伝法灌頂と言えるものではなかった」

と阿含宗開祖がしみじみと(皮肉を込めて)語っていたことをボクは非常によく記憶しています。
弘法大師空海が唐で伝法灌頂を受けて曼荼羅に花を投げて中心に落ちた逸話と同じことが、阿含宗開祖がチベット仏教界のガチな伝法灌頂を受けた時に起きました。この曼荼羅の件も含めて、一連の伝法の常軌を逸した度合いや重みは、我々一般の阿含宗会員信徒よりも、真言宗の僧侶さんの方が、むしろよくわかるのかもしれません。(そして当時の真言宗の当事者の方々がやらかしたことの重大さも)

文化的に考えてみる伝法灌頂

唐王朝時代に唐の寺院に伝わっていた伝法灌頂の儀式が、20世紀末のチベット仏教にて護持されていたという部分に、文化や歴史に興味がある人は反応を示すかもしれません。

阿含宗開祖への伝法灌頂のときは、たくさんのチベット仏教の僧侶が日本に来て、伝法灌頂に使用する仏具や曼荼羅も持参して、1週間くらいかけて古式に則った儀式を行いました。

ここまでのガチな伝法灌頂が、現在の中国で護持できているかの詳細をボクは知らない。恵果阿闍梨の系統の密教は中国本土では、すでに途絶えてしまい、現在の中国にある密教の系統は、明清時代にチベット仏教から伝わったものだそうです。
これは、吉村均先生の下記noteに掲載の動画の講義を聴いて知りました。

また真言宗でも引き継いで運用できているのかどうか?真言宗の方に聞かないと、ボクにはわからない。

そういう古い伝統が、1993年当時のチベット仏教界には残っていました。

この時の様子は阿含宗に映像記録として残されています。これは一連の儀式の様子を映像化して記録を残してほしいというチベット仏教側の意向があり、可能な限りすべての事柄を映像として録画、記録したそうです。だから、おそらく曼荼羅に阿含宗開祖が花を投げて曼荼羅の中心に落ちたという歴史の1ページも動画に残っているはずなのですが、儀式の様子の映像は一切非公開で、末端の雑魚キャラ会員の自分は映像を見たことがありません。

学術的にも非常に価値の高い記録映像ではありますが、だからと言って学者さんが申請しても見せてもらえるとは思えない。これは遠い未来のチベット仏教界のためのものだから。

大昔にインド仏教で行われていた儀式が唐王朝時代には中国に伝わっており、当時は儀式の運用もできていて、実際に弘法大師空海がその儀式を受けたものの、度重なる戦乱の歴史の中で伝統の儀式はいつしか途絶えてしまい(予想だけど途絶えている思うよ!)、チベット仏教では20世紀末まで護持していたものの中国共産党政治のチベット統治のあり方が原因で、それも途絶えつつある。
阿含宗開祖が伝法灌頂を受けたのは1993年ですから、もう30年前の出来事です。この儀式、今でもチベット仏教界でちゃんと残すことができているのでしょうか?

そういう貴重な伝統儀式が映像記録という形で阿含宗に残りました。

霊統・霊力の継承

当時、阿含宗開祖が語ったことで強くボクの記憶に残っているのは、チベット仏教界側の危機感についてです。阿含宗開祖の語る内容は、この頃、非常に高い霊力、法力を持ったチベット仏教の僧侶が3名いたが、全員高齢で、彼らの霊的能力を引き継ぐことができる霊的な才能、能力を持った人材を見つけ出すことができておらず、このままでは霊的なレベルでの法脈が途絶えてしまう。そのような危機的状況にあって、阿含宗開祖を頼ってチベット仏教の霊力、霊統、法脈を阿含宗に預けて温存する意味合いがあるようだ、というものでした。

温存というのは、遠い将来、チベット仏教界に強い霊的能力を備えた僧侶が現れた時まで、チベット仏教の法脈を預かっておいてほしいという意味です。
阿含宗開祖のご生前に、チベット仏教界から法脈の授与をして欲しいと言いにくるという出来事は無かったので、いつの日か阿含宗開祖真身舎利(開祖の御聖骨)の前で、その時の阿含宗の代表がチベット仏教界に霊力、霊統、法脈をお返しする(あるいは新たな霊統・法脈として始める)という儀式が行われるのだろうと思われます。おそらくチベット仏教の僧侶の誰かが仏勅(天の声)を聞いて、日本の阿含宗に行けと言われて、なぜ?どういうこと?法脈を預けていた?そんなの聞いたことがない!何かの間違いだ!から始まるドタバタな伝説劇が始まるのでしょう。

伝法灌頂を受けて法脈を継承する、これは仏教の教えの跡継ぎとなる、ということですけれども、これは形式だけの単なる儀式ではない、というのが神仏の霊気・神気を感じられる霊感を持つようになると、実感としてわかるようになります。

本物の諸仏諸尊の前で法脈を受け継ぎ、諸仏諸尊の霊力が宿った本尊、曼荼羅を含む仏具・法具を受け取ると、諸仏諸尊側もそれがわかっているので、それら物理的なモノを縁(依代)にして、神仏・諸仏諸尊も一緒に国を、海を超えてやってきます。

仏具を介して諸仏諸尊が海を超えてやってくる?
宗教的な理屈として、なるほど、そうかもしれんね、と思う。
信じる信じないは別として、説明されれば、頭ではわかる。

そして阿含宗会員信徒であっても、「ふーん」と思うだけで実際のところは、わかった気持ちになっているだけで、まるでわかっていない。
ソースは自分。ボク自身が数年前まで、そうだったから。

ところが、神仏の霊気・神気がわかるレベルの霊感を得てしまうと、諸仏諸尊って海外から本当に渡って来てるんだ・・・そういう事なんだ・・・と実感してしまう出来事に遭遇します。これはチベットではなく「ブータン仏教の霊力」と阿含宗で呼んでいるブータン仏教由来の諸仏諸尊に顕著に現れています。(この話は別途記載予定)

諸仏諸尊は伝法灌頂とともに、本当に仏具・法具を介して国を渡ってやってくる。

チベット仏教の法脈を継ぐというのは、継承といえば継承だけれども、「温存」という言葉が出てきたことから、やはり言葉通りチベット仏教を護持する諸仏諸尊の霊力の「温存」であり、そして実際には避難とか保護に近いんじゃないか?と個人的には思っているところです。

最後は、わかる人向けの内容になりました。

ペマさんの証言を書籍化してください!

これはペマ・ギャルポさん本人や関係者さんが、もしこれを読んでくれたならば、という希望をつらつら書いています。

当時の出来事を書籍として残してください

阿含宗開祖とダライ・ラマ法王、来日したチベットの大阿闍梨の方々の間でどのようなやりとりがなされたのか、どのような儀式が行われたのか、それをどのように見ていたのか、通訳という立場で、あるいはダライ・ラマ政庁の立場で歴史的な現場を目的してきたペマ・ギャルポさんの証言を、なんとか書籍にして残してほしい、個人的に思っています。
現場をその目で見た人物による証言は、第一級の歴史的資料になることは間違いないのです。
そして、書籍化したら、阿含宗に売り込みの宣伝をしに来てほしいと思っています。
ご関係者の皆様、どうか、よろしくお願い致します。


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