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自分の得意分野の思想で人生の大事件を考えてみる

「宗教2世」というタグやオススメでたどり着いた該当者の方、
仏教系教団以外に所属する方であってもページを戻さずに、ちょっと先を読んでみてほしいです。
そして「自分の教団では、どう説明していたか?」を考えてみてほしいと思って書いています。

また、硬めの文章を読みこなせる読解力を持つスピリチュアル系の方も、ぜひお付き合い願いたいと思っています。


仏教の教えの根幹は

「縁起」=「空」の法則の中で、この世の中が動いている

というところにあります。

お釈迦様本人、及び最初期の仏教では「縁起」という言葉で説明されていた仏教の根幹となる法則が、長い年月を経て、色々あって「空」という単語で説明されるようになりました。
そして、今では本来の「縁起」の意味も正しく理解されていない状態になっています。
このあたりの大ざっぱな事情は、最後にリンクを貼っておきますので、興味があれば参照ください。

このnoteは「縁起」=「空」の内容説明ではなく
あなたが仏教系の人ならば「縁起」=「空」の概念をベースにして
それ以外のバックグラウンドを持つ人は、その思想をベースにして
下記2つの事例の説明ができますか?
を問いかけています。


2つの事例

事例1:自動車が突っ込んできて死にました

交通法規上全く問題が無い場所で信号待ちをしていました。
そこへ他者が運転する自動車が突っ込んできて、自分は即死しました。
自分は自動車事故で死ぬために、そこに立っていたわけではありません。
完全に自分の意志とは関係ない事故に巻き込まれて死にました。
これは仏教で言うところの「苦」そのものだと思います。

あと数分時間が異なれば、あるいはあと数十センチ立ち位置が異なっていれば死ななくて済みました。なのに、どうして自分は、その日、その時、その瞬間に、そこにいたのでしょうか?
同様に、その自動車は、どうして、その日、その時、その瞬間に、その場所に居合わせて、そして運転を誤って、その行き先が自分に向かったのでしょうか?
そもそも、どうすれば、この事故を未然に防ぐことができたのでしょうか?

事例2:家族を薬物中毒から救いたい

家族が薬物に手を出しています。
本人は、ダメなことを理解しているし、やめたいと真剣に悩んでいます。
カウンセリングを受けて、そのときは反省し、やめる決意をします。
ところが、気づけば「わかっちゃいるけどやめられない」という感じで再び薬物に手を出しています。
そして、あとで激しい後悔、自己嫌悪で苦しむということを繰り返しています。

不思議なのは、普通の人ならば出会うことが無いであろう薬物を勧める人物や薬物の売人に、この家族が出会ってしまうことです。
自分は、そのような人と出会いたいと思っても出会う方法すら不明なのに、この家族はなぜか出会ってしまって、気づけば薬を購入しているのです。
なぜ、この不幸な出会い(不幸な引き寄せ)が発生するのでしょうか?

事例を分析して考えてみてほしい

この2つの事例について

  • 問題が発生する原因

  • そもそもこの問題を発生させないようにするための具体的な解決手段

  • 理想論ではなく、具体的な手段で

  • 可能ならば、回避・解決に至るメカニズム

これを説明してほしい。
果たして、答えられるでしょうか?

この2つの事例は「縁起」=「空」の法則の中で起きていることですので
・仏教の「空」を理解してると自称している人
・仏教によって悟りを得たと自称している人
これらの人は、ほぼパーフェクトに近い回答ができるはずです。
できないとは言わせません。特に悟りを得たと自称する人。

宗教2世の若者たちは、仏教系、キリスト教系、霊言系を問わず、自分の所属する教団の教義教学で、この問題をどう扱っているのか?
ぜひ、おさらいしてみてほしい。

考えるときのポイントがあります。

信心の強さで言い逃れしてはいけない

「信心、信仰心が強ければ、このようなことは発生しない」という回答は「できない」「救えない」と証明しているのと同じです。
ぶっちゃけ、自分より遥かに信仰心が篤く、信仰歴も長く、立派な人だと多くの人に慕われていた大先輩が、事故って死んでいるのを見ていますよね?

自分の意志とは関係ない事件事故に巻き込まれる

この2つの事例の特徴は「自分の意志とは関係なく巻き込まれている」という点にあります。
自分の心の平安が云々は、もちろん重要なのだけれども
心が平安だったら他人が運転する自動車が突っ込んでこないのか?
自分の所属する教団は、この問題に真正面から向き合っているのか?
対処可能、回避可能だというのならば、それは、どのような仕組み、メカニズムによるのか?
宗教的な手段で救うことはできず、政治や法律等で対応すべき問題であるというのであれば、宗教としての実力が無いと証明しているのと同じです。そして、それはもはや宗教団体ではなく、政治団体です。

こんなの対象外に決まってる!

自分が所属する教団の教義教学では対象外の内容だ!
宗教が扱う問題ではない!
という回答でも、もちろんOKなのですが、
でも、それは「自分の教団では、人を救うことはできない」と言っているのと同じになってしまうので、本当にそれで良いのかどうか?改めて考えてみてほしいところです。
ところで、なぜ対象外なのでしょうか?
そして、この事例は、明日のあなたかもしれませんが、それでもOK?

マインドフルネス瞑想

マインドフルネス瞑想で今ここにある云々で
自分の心を知る等々の何かを理解すると
自分が会ったこともない人が運転する自動車が
運転ミスをして突っ込んで来なくなるのでしょうか?
Yesだとするならば、その仕組みの説明をできるでしょうか?
その説明を求めています。
実際にはNoが普通の回答だと思います。とすると、この事例は明日のあなたかもしれないことをご承知おきください。

親が阿含宗だけど親が答えられない

申し訳ない・・・(ボクが謝罪する筋合いではないのだけど)

宗教に限らず、どうしても、親子間では感情が先に走ってしまって、うまく説明できないことがたくさんあります。大目に見てほしい。

そして、この事例の本質的な理解は本当に重要で、自分や家族が人生の岐路に立った時(可能なら岐路に立つ前から)の判断基準になります。
だから、道場に来て、教義教学に詳しそうな人を捕まえて
教えてもらってください

但し「縁起」「空」という言葉ではなくて、もっと違う言葉(阿含宗内部の用語)で説明してくれるはずです。このnoteは一般の人を対象にして書いていますから、阿含宗内部の用語ではなく、一般的な言葉を使用しているのです。

関連するnoteをいくつか

色々な事情の大ざっぱな説明

仏教の思想史という観点から理解する必要があるのです

四諦について等々


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