見出し画像

まずは阿含経が何かを知る

阿含経の歴史的位置づけ

阿含経の歴史的な価値、位置づけについて、阿含宗開祖が語る動画を紹介します。
約4分の動画となっております。

動画の内容の要旨

・阿含経だけが実際にお釈迦様が説いた言葉をそのまま書き留めたお経である
・これは仏教史を学べば、はっきりと書いてある歴史的事実である
・密教を究めてから阿含経を学ぶと、阿含経こそが本物だということがよくわかる

この動画は、阿含宗会員の2世会員と思われる若者が作った切り抜き動画です。この若者が誰なのか、ボクは全く知りません。
たまたま、この動画を見て、追加説明すべき内容をひらめいてしまったので、このnoteを書きました。

入我我入の原点が阿含経にある

この阿含宗開祖の法話の中で注目してもらいたい事項のひとつに、密教の修行をする前には理解できなかったことが、密教を会得したあとに読むと理解できるようになったというものがあります。
発展した技術を会得した人がオリジナルの原典・資料等々を読んだときに、その本来の目的、意図、本質について高度に理解できるというのは、日常の仕事でもありますよね。それの宗教版です。

この具体例として入我我入にゅうががにゅうの原型が阿含経にあると阿含宗開祖が説明している阿含経典があります。増一阿含経・有無品という経典です。

これについての説明は長くなるので、このnoteでは書きません。興味がある方はnote最下部にあるリンクから「仏陀の真実の教えを説く【中】」を購入してお読みください。
「有無品」という経典の説明の中心眼目となっています。

ちなみに、入我我入というのは密教に伝わる瞑想修行法のひとつです。
本尊が発する本物の霊力・霊気を、自分自身の魂、深層意識、潜在意識に取り込んで結合させるという瞑想テクニックです。
和文では「仏様の心を我が心と為し、我が心を仏様の心と為す」という説明をしたりします。

自分自身の為の修行という観点で言えば、本物のブッダの霊気と自分の魂を結合させて、自分の魂を浄化した上で、霊的な魂レベル神仏の力で高めていく実践瞑想修行です。

他者を救うための実践という観点で言えば、本物のブッダの霊気と自分の魂を結合させた状態で、自分の意思で救いたい人たち、救いたい地域を脳内にはっきりとイメージして、その瞬間は自分自身が諸仏諸尊そのものとなって諸仏諸尊の霊気を対象とする人々や地域に送り込み、清め、高めるというガチな実践瞑想です。

本物の霊力を放つ本尊を物理的に所持していることが必須条件の瞑想修行で、本尊を持たずに自分自身の想像でやると単なる妄想で終わります。

阿含経の理解にはアビダルマの理解も必要

また阿含経の原文を読んで理解するためにはアビダルマ仏教も理解しなければいけない、と阿含宗開祖は説明しています。

なぜアビダルマを理解する必要があるかというと、アビダルマの最初の目的は阿含経の注釈、解説、参考書だったからです。

後期のアビダルマは手段を目的化してしまって、この人達、頭がおかしいのかな?という無意味な議論をする集団になっていたとしかボクには思えませんが、本来は阿含経の参考書を作るべく、初期のアビダルマ仏教の人たちは頑張っていたわけです。
ですので、阿含経に理解できない事柄が書いてあるときにアビダルマを調べるとそこに解説があり、それを理解してまた阿含経に戻るということを阿含宗開祖は繰り返したそうです。

初期のアビダルマの人たちが参考書を作るべく頑張っていたということを想像できないとなると、ちょっと困るなあとボクは思う。

例えば阿含宗開祖の法話というのは、ワープロやパソコンが一般的ではなかった時代に当時の会員信徒さんが一生懸命に文字起こしをして原稿用紙に手書きしてまとめたものがたくさん記録として残っています。その手書き原稿を眺めていると、どうしても誤字脱字がそれなりにあるし、当時の時代の空気を知っていればわかるけれど数十年後には理解できないだろうなあという部分も多々あります。これが誤ったまま、追加説明も無いまま、そのまま残ってしまうのは、同じ時代に阿含宗開祖の肉声を聞いていた人間としては困るし、惜しい。だから直したいし、注釈、解説を加えたいと思う。(まあ、阿含宗の場合は他の人がやってくれると思うが・・・)

おそらく初期のアビダルマの人たちだって同じように思ったはずだとボクは考えています。

ちなみに阿含宗開祖がアビダルマ仏教と唯識の内容を小説という形で説明した書籍があります。内容は超高難度です。
読みこなしてやる!という勇気ある挑戦者を求めています。

阿含宗開祖の阿含経解説を読んでみませんか?

阿含宗開祖が超重要であるとして厳選した阿含経典を解説した書籍3冊のリンクを貼り付けておきます。

原始仏教、正しい仏教を本当に理解したいと考えているなら、密教を究め、アビダルマを理解した上で阿含経を読み込んだ人物が書いた阿含経解説の書籍は、必読だと思います。

そして南伝テーラーワーダ系の仏教にハマっている人ならば、阿含宗開祖が超重要としている漢訳阿含経典に対応するパーリー語版を、南伝テーラーワーダ系の人たちはどう理解して、どう説明しているのか?という比較をしながら読めば、さらに理解と見識、視野が広がるでしょう。
そういう人が現れたら嬉しいなあと考えている次第です。
ふわっとした「詩」のような経典翻訳の文章を読んで理解した気になって終わるのではもったいないです。きっちりと理路整然とした経典解説の書籍にも是非チャレンジしてください。

上巻

阿含宗開祖がまず最初に知ってほしい「八法十六法」という修行法について書かれた経典がトップバッターとして掲載されています。もしどこかの仏教者が「仏教は自分が瞑想して自分が救われることであり、他者を変えることはできない」と主張していた場合、その説明は完全に誤りであるということを堂々と指摘できる阿含経典です。是非、読んでほしい仏教の本当の教えです。

中巻

このnoteで説明した増一阿含経・有無品の説明があるのは【中】です。
「意生身」という、現代の我々が一般的に幽霊と思う存在をお釈迦様がはっきりと認めている経典も掲載されています。お釈迦様は霊魂を説かなかったという一部の人の説明は誤りです。それをこの書籍でご確認いただければ幸いです。

下巻

仏教は道徳・哲学であって、お釈迦様は輪廻転生も死後の存在も認めていないと本気で考えている人は、この本を読んで、今までの自分が何を学んできたのか、改めて考え直してみる機会を持ってほしいです。この書籍は、お釈迦様が認識している輪廻や死生観をテーマにした阿含経典が【下】には多く掲載されています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?