2022/7/21

2022/7/21
今日はなぜか早起きした。起きてやることも見つからないから、散歩に出かけた。7時、もう十分明るいが人はいない。朝の空気が美味しいことをすっかり忘れていた。こんな朝はいつも思う、今日は何かある日なのかもしれない、何かが起こってくれるかもしれない。今までの色のない人生が報われる何かがあるかもしれない。しかし、それはおそらく起きないということもよくわかっている。こんな朝を何回も繰り返した脳は無意識に、無駄な期待が無駄になった時の抗体を作り上げている。傷つく心を癒す抗体を作り上げている。それでも期待してしまう、どうしてだろう。実際なぜそれが起きないかわかるかというと、それは具体的に妄想しても、そのどの妄想もしっくりこず、結局どんなものが自分が本当に求めるものなのか想像できない、つまり、実際どんなことが起きても、多少の不満が出てきてしまう。それは色のない人生で培ってきた、今すぐにでも捨てたくなるようなもの、仕事、人間関係、その他狡賢く人生を生きていくための悪知恵、そういうものを今すぐには、もしくは死ぬまで捨てることができなくて、自由な行動を妨げる。足に重りをつけられた天使は時間が経てばたつほど、飛ぼうとしなくなる。そんな絵を想像した。それかただ単に私の想像力が乏しくて、満足するものを考え出せないだけかもしれない。その可能性もないのであれば、やっとこういう考えができる、「私に起きる特別な出来事は、想像ができない程のことだからこそ、起きるかもしれない」ということだ。私は基本的に神を信じていないが、このロマンチズムを語るとき、必然的に神の存在(というより神的な存在)を認めることになると思う。特別な出来事は神様が起こしてくれるものだと心をどこかで思っていて、神様に起こしてくれと願っている。そう考えると、なんと無駄な時間だろうか。メリットなど何もない、心が荒んでいくだけだ。以上のことから、ある結論を導けると思う、「直感的に生きよう」それが一番いいだろう。


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