子どものわたしと近所の犬の話
子どもの頃近所のおじさんがゴールデンレトリバーを外飼いしてて、わたしはその子が外に出てるのを見たことがなかった。
その子は1年中ケージの中にいて、丸まっているか、うろうろしているか。
人が現れると動き出して、歩くたびにカシャンカシャンと鎖の音がした。
確か毛並みもそんなにきれいじゃなかった。
それでもわたしにとっては唯一身近なわんちゃんで、かわいくて、家主の車がない時にこっそり会いにいってはケージの中へ指を入れてその子の頭を撫でた。
その子はいつもフンフンと鼻を鳴らしながら近づいてきてくれた。
でもある日からその子には会えなくなった。
脱走して、そのまま行方不明になってしまったから。
わたしは子どもながらに、あのおうちじゃ逃げたくもなるかもなぁと思った。
あの子はやっと自由になれたのかもしれないとすら。
きっともうお年寄りだったから、最期の姿を見せないために身を隠したのかなぁなんて思っていた。
毎日思い出すわけじゃないけど、その家の前を通るたびにあの子の姿がちらついた。
今日、あの子がいなくなる前うちの庭に現れていたことをはじめて知った。
母が見たらしい。
野良でいるわけがないゴールデンレトリバー。
あれ?あの子って…と思っている隙にどこかへ行ってしまったらしい。
そして数日後行方不明の情報が流れた。
それを聞いて、根拠なんてまったくないけれど、わたしに会いにきてくれたのかなと思った。
あの子にとってのわたしがどんなものだったかなんて分からないけれど、もしそうだったら。
なんて考えて、泣いてしまった。
幼いわたしはあの飼育方法に正しく疑問を持つことすらできなかった。
ただなんとなくぼんやりと可哀想だなという気持ちだけはあって。
わんちゃんなのにどうしてあの子はお散歩しないんだろうって。
でも人の家の子だからどうすることもできなくて。
母は、まだ老犬ではなかったはずとも言った。
老犬じゃないのにあんなケージに閉じ込められていたのかと思うと、余計に胸が締めつけられた。
ずっと、後悔していたのかもしれない。
もっと周りの目なんて気にせずにあの子を撫でてあげればよかった。
下手に大人びていたせいで人の目を気にして、友達がいるときは会いにいけなかった。
わたしは自分の都合で、自分の癒しのためにあの子に会いに行っていただけだ。
あの子のためじゃない、全部自分のため。
本当はもっと一緒に遊びたかった。
もっと寄り添ってあげたかった。
暑い夏はお水をあげたかったし、寒い冬は毛布をあげたかった。
でも何もしなかった。
ごめんね。
きみはわたしを癒してくれていたのに、わたしは何もしてあげられなかった。
ごめんね。
覚えているのはわたしだけで、あの子はわたしのことなんてなんとも思ってないかもしれない。
その方が楽ですらある。
でもこの先もずっとあの家を見るたびにわたしはあの子を思い出すだろう。
少なくともこれから関わる動物たちには、こんな気持ちを抱かなくて済むようにしていきたい。
犬の外飼いも、散歩しないのも、だめです。
本当に動物のことを考えられる人だけが飼育権を持てる世の中になりますように。