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ベリーダンスの名称の由来

ベリーダンスとはフランス人による造語です。

19世紀にフランス人が中東に旅行した際、ガワージーの踊りを見て今までに見たことのない腰周りを使う動きに衝撃を受け、フランス語でガワージーの踊りを「お腹(ベリー)の踊り」と呼び始めました。

※ガワージーはエジプトに居るジプシーのエンターテインメント集団

また、フランス人 画家ジャン=レオン・ジェロームによる1864年に発表された絵「アルメの踊り」に対して、批評家が批評の中で使用した言葉「お腹の踊り」が「アルメの踊り」の別名として広く使われるようになった為、中東の踊りをフランス語で「お腹(ベリー)の踊り」と呼び始めました。

「アルメの踊り」はその当時に流行していたオリエンタルリズムに魅せられた画家の中東に思い描くファンタジーを描いたもの。

カイロと思われる街で、トルコ兵士の前で踊り子(アルメ)がミュージシャンの演奏に合わせ踊っている絵であり、彼女の上半身が半裸であった為、当時のフランスではセンセーショナルを巻き起こし物議を醸し出しました。

しかしながら、元来、アルメとは学識がある女性というアラビア語で、女性の為(観客が女性のみ)にプライベートな空間で歌い、踊り、詩を朗読し、音楽を作曲し披露する宮廷に仕えるプロフェッショナルな女性達を意味します。
アワリームとはアルメの複数形です。

エジプトを訪れるヨーロッパ人は、公共の場やプライベートの場で顔を隠さず踊るガワージーと宮廷に仕えるアルメの違いを理解しておらず、また、歌ったり踊ったりする売春婦の違いも理解しておらず、1850年代にはヨーロッパ人にとり、アルメは売春をするダンサー、あるいはダンサーという意味で使われていました。

19世紀には、バレリーナなどもエロティックな対象として絵画によく描かれた為、その当時の多くの人は、ダンサーというものは、公共の場に肉体を晒しお金を稼ぎ、時には売春もしているというイメージを持っていた為でもあります。

「アルメの踊り」には、そのような社会の風潮、また、オリエンタリズムの根底には植民地へのプロパガンダと性的な支配を強調する意味合いも暗に含まれているようです。

このように、ヨーロッパでは、ダンサーではない売春婦をダンサーと呼んだり、「アルメの踊り」が広く知られた為、中東の踊りやダンサーが不本意なイメージを持たれる時代もありました。

アメリカでは、1893年シカゴで開催された世界博覧会にエジプトのガワージーが招聘され、彼女達の踊りがフランス語をそのまま訳し「ベリーダンス」として紹介されました。

20世紀前半に、アラブ諸国からの移民がアメリカ・ニューヨークへ移住を始め、ベリーダンスやアラブ音楽を披露するようになり、950年代〜1960年代には、移住してきたダンサー達が教えだし、ニューヨークのような大都市でアメリカ人がベリーダンスに親しみ始めます。

また、ダンサーとオーケストラによるショーが大人気となり、全米各地にツアーを開始します。

エキゾチックな踊りと音楽はアメリカ人を魅了し、ハリウッドがグラマラスな衣装を作り、ウーマンリブの時代と相まり、アメリカ女性達の間で自分自身を表現する踊りとして人気が高まっていきました。

その後、アメリカから世界へとベリーダンスという名と共に人気は広がっていきました。

尚、現在、ベリーダンスという名称はエジプシャンスタイルオリエンタルダンス、トルコのオリエンタルダンス、アメリカントライバル、アメリカンキャバレースタイル(ビンテージオリエンタル)などオリエンタルダンスから細分化した様々な踊りも含めた総称としても使われています。

ベリーダンス発祥の地と言われるエジプトでは、オリエンタルダンス(ラクス・シャルキ=東方の踊りの意)と呼ばれています。

※オリエンタルダンスとは、エジプト独自の踊り(古代からアラブ圏の女性の間で社交として踊られてきた踊り、民間伝承されてきた踊り、アワリームの踊り、ガワージーの踊り)に西洋の踊り(バレエや社交ダンスなど)の要素を取り入れた踊り。

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